第二節 万有原力と授受作用および四位基台 その2

(二)授受作用

本文

 あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。ゆえに、万有原力と授受作用の力とは、各々原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという、相対的な関係をもっている。したがって、万有原力は縦的な力であり、授受作用の力は横的な力であるともいえるのである。
 我々は、ここにおいて、万有原力と授受作用を中心として、神と被造物に関することを、更に具体的に調べてみることにしよう。神はそれ自体の内に永存する二性性相をもっておられるので、これらが万有原力により相対基準を造成して、永遠の授受作用をするようになるのである。この授受作用の力により、その二性性相は永遠の相対基台を造成し、神の永遠なる存在基台をつくることによって、神は永存し、また、被造世界を創造なさるためのすべての力を発揮するようになるのである。
 また、被造物においても、それ自体をつくっている二性性相が、万有原力により相対基準を造成して、授受作用をするようになる。また、この授受作用の力により、その二性は相対基台を造成し、その個性体の存在基台をつくって初めて、その個性体は神の対象として立つことができるし、また、自らが存在するためのすべての力をも発揮できるようになるのである。これに対する例を挙げれば、陽子と電子の授受作用によって原子が存在できるし、またその融合作用などを起こすことができるのである。また、陽陰二つのイオンの授受作用によって、分子が存在するようになり、化学作用を起こすこともできる。また、陽電気と陰電気との授受作用によって、電気が発生し、すべての電気作用が起こるようになるのである。
 植物においては、導管と師管の授受作用によって、植物体の機能を維持し、有機的な生長をするようになる。そして、雄しべと雌しべの授受作用によって繁殖するのである。
 動物も雄と雌の授受作用によって、その生体を維持し、また繁殖する。そして動植物間においても、酸素と炭酸ガスの交換、蜜蜂と花の授受作用などによってそれらは共存している。
 天体を見ても、太陽と惑星との授受作用によって、太陽系が存在すると同時に、宇宙形成のための運行をなしている。また、地球と月も、授受作用によって一定の軌道を維持しながら、公転と自転の運行を継続しているのである。
 人間の肉体は、動静脈、呼吸作用、交感神経と副交感神経などの授受作用によって、その生を維持しており、その個性体は体と心の授受作用によって存在しながら、その目的のために活動している。
 さらに、家庭においては夫と妻が、社会においては人間と人間が、国家においては政府と国民が、もっと広く世界においては国家と国家が、お互いに授受作用をしながら共存している
 古今東西を問わず、いくら悪い人間であっても、正しいことのために生きようとするその良心の力だけは、はっきりとその内部で作用している。このような力は、だれも遮ることができないものであって、自分でも知らない間に強力な作用をなすものであるから、悪を行うときには、直ちに良心の呵責を受けるようになるのである。もしも、堕落人間にこのような良心の作用がないとすれば、神の復帰摂理は不可能である。では、このような良心作用の力はいかにして生じるのであろうか。あらゆる力が授受作用によってのみ生じることができるのだとすれば、良心もやはり独自的にその作用の力を起こすことはできない。すなわち、良心もまた、ある主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである。我々は、この良心の主体を神と呼ぶのである。
 堕落というのは、人間と神との授受の関係が切れることによって一体となれず、サタンと授受の関係を結び、それと一体となったことを意味する。イエスは神と完全な授受の関係を結んで一体となられた、ただ一人のひとり子として来られたお方である。したがって、堕落した人間が、イエスと完全なる授受の関係を結んで一体となれば、創造本性を復帰して、神と授受作用をすることによって、神と一体となることができるのである。それゆえに、イエスは堕落人間の仲保となられると同時に、道であり、真理であり、また命でもあるのである。したがって、イエスは命をささげ、愛と犠牲によって、すべてのものを与えるために来られたお方であるから、だれでも彼に信仰をささげる者は滅びることのない永遠の命を得るのである(ヨハネ三・16)。キリスト教は、愛と犠牲により、イエスを中心として、人間同士がお互いに横的な授受の回路を回復させることによって、神との縦的な授受の回路を復帰させようとする愛の宗教である。それゆえに、イエスの教訓と行跡とは、みなこの目的のためのものであったのである。例を挙げれば、イエスは、「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ」るであろう(マタイ七・1、2)と言われた。また、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(マタイ七・12)と語られ、「だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう」(マタイ一〇・32)とも言われた。また、イエスは、「預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう」(マタイ一〇・41)と言われ、「わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」(マタイ一〇・42)とも言われたのである。

概要
  • あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、その存在のためのすべての力、すなわち、生存・繁殖・作用などのための力を発生する。
  • このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。
補足

 万有原力により相対基準を造成とは、共通の目的のもとで、神の心情の力によって愛したい衝動を起こさせること。といえる。 その結果、主体が対象に愛を与え、対象はその愛を美として主体に返す(その逆も)その作用を「授受作用」と呼ぶ。

 授受作用は全ての被造物に作用してる普遍的な法則。例として、原子の構成のためには陽子と電子の授受作用が必要であるし、分子を構成するには原子間の授受作用がなされる。また、複数の分子が授受作用することで化学的作用を起こす。太陽系や銀河系全体においても自転と公転をしながら個体内部と個体間で授受作用をしている。
 無形の人間社会を見ても家庭、国家、世界と全て授受作用によって存続し発展している。

 授受作用無しに被造物が存在することはありえないし、力が発生することは無い。神ご自身もその内部で授受作用をすることで自存される。

 サタン中心も授受作用の力はもちろん万有原力ではない。それは悪霊であり、自己中心や利己心。だから悪霊が抜けると力が抜ける。原因となる力から異なっている。動機が違うということ。

 よく授けよく受けるためには自分があってはいけない。相手の望む以上に与え、受けた以上に返す。

 全ての人間に存在している「良心」も、ある主体と授受作用をするからこそ、その力が発揮される。この良心の主体を神と呼ぶのである。

 堕落人間は2000年前に来られたイエス・キリストと完全な授受をなし一体となることで神と一体となることができた。

御言葉

 人生はどのように生きるべきでしょうか。人間はどこから、なぜ生まれ、どのように生きていくべきでしょうか。簡単だというのです。愛(神様を中心とした)ゆえに、愛によって生まれたので、愛の道を求めて、愛の目的地に行くのです。そうすれば循環法度上で、永遠に回ることができるのです。愛は永遠の概念なので愛を求めてこの中心に来るのです。それは愛でのみ成立するのです。

 私が一生の間生きるのは、私のために生きるのではありません。神様の愛のために生きるのです。その目的のために移動し生きるというのです。それがどれだけ素晴らしいことでしょうか。そのように生きる人は絶対滅びないのです。そこに大変なことがあり、涙もあり、時には悲惨なことがあったとしてもそれは神様の愛ゆえなので、悲惨ではなく、悲痛でもなく、悲しみでもないというのです。その原則を知らなければなりません。

 私たちは何のために生きるのでしょうか。絶対的な真の愛、真の愛のために生きましょう! ここにすべてが入っているのです。ですから私のポケットにあるハンカチも愛のためにあり、私が仕事をするのも、汗を流すのも愛のため、真の愛のためにするというのです。私が話すことも真の愛のため、食べることも真の愛のため、遊ぶことも真の愛のため、すべてがそうだというのです。

天聖経:成約人への道より

 愛とは、与えて満足するのではなく、与えてももっと与えたいのに、与えられなくて恥ずかしさを感じる、そのようなものが愛です。与えて恥ずかしさを感じる人であればあるほど、本当の愛の主人です。愛は、与えれば与えるほど、もっと大きいものに加えられます。また作用すればするほど、入る力より出ていく力がもっと大きいのです。ですから滅びるのではなく、栄えるのです。愛なくして栄えることはありません。

 真の愛とは何でしょうか。与えて忘れるものです。与えて、また与え、また与えるのです。

天聖経:真の愛より

 先生は神様のごとく自らを投入している。自分の命以上に投入することから、自分以上の存在、愛の相対が現れるのである。(1990.12.28)

 神様は愛を中心として投入しても、忘れてしまう方である。投入しても投入しても耐えていると、その空っぽになった倉庫に宇宙が返ってくる。(1991.8.29)

 自分の生命以上に投入し、投入し、投入し得る立場に立ってこそ循環する。愛は直線ではなく回るものである。ひたすらに押し進めていけば、神様も包囲され、宇宙も永遠なる愛の理想圏に包囲される。(1990.12.28)

授受作用を確信された興南路程

 お父様は「授受作用さえ確実にわかれば、原理をほぼわかったと言えるだろう。(史吉子氏証より)」と言われたそうです。
 そして真のお母様もお父様が聖和なさってから「原理のみ言葉のエキスは2つです。『愛しています』『感謝します』この2つだけが分かれば、原理のすべてが分かります。」と言われました。私はこのみ言葉も授受作用のことを言われているのだと感じます。
 お父様は興南路程で授受作用が正しいと確信されたそうです。以下、文先生の自叙伝「平和を愛する世界人として」より興南監獄の証しを抜粋。

 平壌刑務所に入所して一カ月半が過ぎた五月二十日、私は興南監獄に移送されました。自分一人であれば逃亡でも何でもできましたが、強盗犯や殺人犯と一緒の組になっていたので、できませんでした。列車で十七時間ほどかかる遠い道のりを行きながら、じっと座って窓の外の光景を眺めていると、悲しみが込み上げてきました。脇を小川の水が流れ、うねうねと谷間に続くその道を、囚人の身となって行かなければならないのです。開いた口がふさがらないとはこのことでした。

 興南監獄とは、興南窒素肥料工場の特別労務者収容所のことです。そこで私は二年五ヵ月の間、苦しい強制労働に従事しました。強制労働はもともとソ連で始まったものです。ソ連は、世論と世界の目があるために、資本家や反共主義者をむやみに抹殺するわけにはいかず、新たにこの刑罰を考案しました。強制労働の刑を受けると、つらい労働にへとへとになりながら死ぬまで働くしかありません。この制度をそのまま真似た北朝鮮の共産党は、すべての囚人に強制労働をさせました。過酷な労働をくたくたになるまでやらせて、自然と死ぬように仕向けたのです。

 興南監獄の一日は明け方四時半に始まります。囚人を全員起こして前庭に整列させ、不法な所持品がないかどうか、まず身体検査をします。衣類を全部脱がして、埃一つも見落とさないようにパタパタ叩いて隈無く探すので、優に二時間はかかりました。興南は海が近く、冬には脱いだ体に寒風が吹きつけて、肉が抉られるような痛みがありました。身体検査が終わると、粗末な朝ご飯を食べ、十里 (約四キロメートル) の道を歩いて工場に向かいます。四列に並んで、顔を下に向けたまま、手をつないで歩きます。囚人たちの周りを小銃と拳銃で武装した警備員たちが付いて行きました。万一列が乱れたり、手が離れたりすると、脱走の意図ありとみなされ、容赦なく殴打されました。

 雪が道に積もった冬の日、寒い明け方の道を歩いていくと、頭がくらくらしました。凍りついた道はよく滑るし、肌に突き刺さるような冷たい風が吹くと、頭の後ろの毛が逆立ちます。朝ご飯を食べたといっても、元気は出ません。足を踏み外してばかりいる毎日でした。しかし、力の抜けた足を引きずってでも工場に行かなければなりません。道すがら意識が朦朧となる中で、私は自分が天の人だという事実を繰り返し考えながら歩いて行きました。

 肥料工場には、肥料の原料となる硫酸アンモニウム(硫安)が山となって積まれていました。ベルトコンベヤーで運ばれてきて、そこから下に降り注ぐ硫安は、白い滝のようにも見えました。降り注いだばかりの硫安は熱を帯びて、真冬にも湯気がゆらゆらと立ち上るほどでしたが、時間が緻つと冷めて氷のようにかちかちになりました。山と積まれた硫安をすくい上げて、かます(わらむしろを二つ折りにして縁をとじ、袋にしたもの)に入れるのが私たち囚人の仕事でした。「肥料山」高さ二十メートルを超える巨大な硫安の山の呼び名です。八百人から九百人が大きな広場に出て、硫安をすくい上げて袋詰めする場面は、あたかも大きな山を二つに分けるかのようでした。

 十人一組で一日に千三百かますやるのが私たちに与えられたノルマです。一人の一日当たり責任量は百三十かますになります。それをやらないと食事の配給が半分に減らされてしまうので、生死の分かれ目と思って必死に働きました。硫安を詰めたかますを少しでも楽に運ぼうと、針金で輪を作って、かますを結ぶ際に使いました。運搬用のトロッコ(貨車)が通るレールの上にこの太い針金を乗せておくと、平らに潰れて針の代わりに使えます。かますに穴を開ける時は、工場のガラス窓を破って、そのガラスを使いました。看守も苦しい労働に悩まされる囚人に同情して、工場の窓を破るのを見てもそのままにしていました。私はある時、その太い針金を歯で噛み切ろうとして、そのまま歯が真っ二つに折れてしまいました。今でも私の門歯をよく見れば歯が欠けていますが、興南監獄で得た忘れることのできない記念品です。

 どの囚人も重労働で疲労困態して痩せこけていくのに、私は体重七十ニキロをずっと維持して、囚人たちの羨望の的でした。体力だけは維持して少しも他人が羨ましくなかった私も、一度だけマラリアにかかってとても大変だったことがあります。一月近くマラリアにかかっていても、私が仕事をできなければ他の囚人たちが私の分までやらなければなりません。そうならないように、一日たりとも休みませんでした。このように体力があったので、私は「鉄筋のような男」と呼ばれました。いくらつらい重労働であっても我慢できました。監獄であろうと強制労働であろうと、この程度は問題になりません。どんなに鞭が恐ろしく、環境が悲惨だとしても、心に確固たる志があれば動揺しませんでした。

 日本の川崎鉄工所で働いた時、タンクに入っていって硫酸を清掃しましたが、毒性のために死んだ人を数人目にしました。しかし、興南工場は、それとは比較にならないくらいひどい所でした。硫酸は有害で、触れると髪の毛が抜け、皮膚から粘液が流れます。硫安工場で六カ月も働けば、喀血して死ぬ人もいます。指を保護しようと指貫をはめても、かますを結んでいると、有毒な硫安に触れてすぐに穴が空いてしまいました。着ていた衣服は硫安で溶けて擦り切れてしまい、肉がひび割れて血が流れるか、骨が露わになる場合もありました。肉が削げ落ちたところから血がどろどろと流れ、粘液がだらだら出てきても、一日たりとも休まずに仕事をしなければなりませんでした。

 それだけ仕事をしても、ご飯は一日に小さな茶碗で二杯にならない配給しかありません。おかずはほとんどなく、スープは大根の葉の入った塩水がすべてでした。スープはちょっと口にしただけでも塩辛かったのですが、石のようにごつごつしたおかずなしのご飯はそのままではのみ込めないので、そのような塩辛いスープでさえも貴重で、誰一人としてスープの汁を無駄にする者はいませんでした。

 ご飯茶碗を受け取ると、どの囚人も一瞬にして丸ごと口の中に入れます。自分の分を食べ終わると、他の人がご飯を食べる姿を、喉を鳴らして眺めています。ある時は、我知らず人のご飯茶碗にスプーンを突っ込んで、争いが起きることもありました。同囚のある牧師は、「豆一粒だけくれたら外に出てから牛二頭あげる」と言ったほどです。死人の口の中に残ったご飯粒まで取り出して食べるほどでした。興南工場で味わった空腹は、それほどまでに凄絶でした。

 空腹がもたらす苦痛は、実際に味わってみなければ分かるものではありません。空腹が極まったときは、ご飯粒一つでもどれだけ貴いかしれません。今も興南のことを思うだけで気持ちがさっと引き締まります。ご飯粒一つがそこまで人間の全神経を刺激できるということが信じられませんでした。おなかが空けば涙が出るほどご飯が恋しくなり、母親よりもっと恋しくなります。おなかがいっぱいのときは世界の方が大きいのですが、おなかが減ればご飯粒一つが地球よりもっと大きいのです。ご飯粒一つの価値とは、そのように驚くべきものです。

 興南監獄では、配給された握り飯の半分を同僚たちに与え、残りの半分だけを食べました。約三週間そうやって実践した後、初めて握り飯一つを全部食べました。二人分のご飯を食べたと考えれば、空腹に耐えることがとても楽になります。

 興南の実態は残酷の一語に尽き、実際に体験したことのない人には想像すらできないでしょう。囚人の半数が一年以内に死んでいきます。死体を入れた棺桶が毎日のように監獄の裏門に運ばれていくのを見つめなければなりませんでした。全身のあぶらが一滴残らずなくなるような仕事ばかりさせられて、死んで初めて門の外に出ていくことができたのです。いくら無慈悲で冷酷な政権であっても、それは明らかに人間としての限界線を越えたものでした。そのように囚人の涙と怨念がこもった硫安入りのかますは、港からソ連に運ばれていきました。

文先生の自叙伝「平和を愛する世界人として」より