はじめに ~統一原理の覚え書き~

統一原理とは?

『統一原理』は新約聖書や様々な宗教で預言されている「メシヤ」「再臨の主」であられる「文鮮明氏」が解明された、この世に現れた最終的な「真理」です。

 その骨子は文先生の弟子が編纂した『原理講論』にまとめられていて、内容を要約すれば、「神の創造(神の存在、天地創造の目的、被造世界の原理)」「人間の堕落(罪の根本、堕落の原因、悪の正体)」「人間の復帰(復帰の原則、復帰の歴史、完全な救い)」の3つに分かれ、堕落した人間が神の子女へと帰っていくための”天秘”が証されています。

統一原理解明の背景 -文鮮明氏の御言葉より-

 先生が生まれた1920年は、この地が日帝の植民治下にありました。そのころ先生は、強大国に蹂躙される弱小民族の苦痛と悲しみが何かを、痛切に感じる体験をしたのです。先生が青少年時代だったその当時には、この悲惨な戦争と罪悪の世界を救う道が何かを、深刻に悩まざるを得ませんでした。

 そのような難しい国家的事情があるために、他国の統治権内において民族が受ける悲惨さを子供のころから心深く感じ、「このような環境的条件をどうにか打開していくことができないか」という問題を考えていた子供のころを思い出します。

 混乱した世界情勢を、誰が責任を負って収拾するのでしょうか。個人生活が困難で、家庭生活が困難でした。村ならば村のどの家庭を見ても、幸福そうな家庭がないくらいに、混乱が支配していた時でした。さらには、部落を越えて国がそうであり、国を越えてアジアがそうであり、アジアを越えて世界がそのような混乱期だったのです。

 また、少年時代から人生に関し、次のような、いろいろな基本的な問題などに対して悩み始めました。「私は誰であるか。私はどこから来たのか。人生の目的は何か。死んだのちに、私たちの生命はそのまま続くのか。また、神様は果たして存在されるのか。神様は全能であられるのか、あるいは無力な存在であられるのか。もし神様が全能であられるなら、神様はなぜ人類世界の問題を解決してくださらないのか。この地球上には、なぜ多くの苦痛が存在するのか」。

 過去のことをすべて振り返ってみる時、今においては追憶の一言になるかもしれませんが、その時においては本当に深刻でした。自分の生涯の未来をかけて、どのように行くべきかという問題を談判する時期でした。

 これが人間だけの決定では駄目だという事実を知っていたために、「神様がいらっしゃるならば、神様のみ意によって、人間たちの考えを越えて、決定的な路程を取ることのできる道を行かなければならない」と考えたのです。そのように、信仰の道において苦しんだすべての追憶が、生き生きとしているのです。

 先生は数えの十六歳の時に、非常な経験をしました。復活節の朝、長時間の涙ながらの祈祷の果てに、イエス・キリストが先生に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。イエス様は、奥深く驚くべきことに対して、多くのみ言を語ってくださいました。「苦痛を受けている人類のゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる」とおっしゃいました。そして先生に、「地上での神様の役事に対する、特別な役割をしてほしい」と要求されました。

 一言で言って、霊的な世界が突然本人の前に広がり、先生は自由に、その霊的な世界にいる聖者たちと思う存分通信できるようになりました。北朝鮮の地、静かな山中で、先生は何度もイエス・キリストと直接対話をしました。

 漸次神様は、驚くべき真理を教えてくださいました。それはあたかも、長い長い暗い夜が過ぎ、朝日が昇るようなものでした。その真理のなかで、私は光栄なる新しい文化の曙光を見ることができました。

 新約聖書に基礎をおいたこの特別な啓示は、ユダヤ教の教えよりも、もっと立派なのです。この啓示は、すべての宗教を包摂して一つに結ぶことのできる力と能力をもっているのです。先生が受けたこの啓示は、今日「原理」と呼ばれていて、先生は神様から、この「原理」を地の果てまで伝えなさいという指示を受けました。

 ここで教えてあげたことは、全部ふたで覆われていた未知の事実です。今まで人類歴史において覆われていた膨大なふたを全部開けて、それを連結して一つの理論的な体系を作って、それに実際的な事実と真理的な歴史的内容に一致させることができる結論を付けられるようにしたという事実は、驚くべきことなのです。

『真の御父母様の生涯路程 1 』

 統一原理は私の生涯の記録でもあります。それは、私自身の生活体験です。この統一原理は私の中にあり、私は統一原理の中にいます。

 ・・・人々が私と私の行動を理解する唯一の方法は、統一原理に通じることのみです。統一原理を知って研究することによってのみ、私を理解することができます。原理を研究すればするほど、私をさらによく理解できるというのです。

『1977.2.3「真の父母経」5.1.4.10』

このサイトについて

  • 原理講論の解説と自身が信仰生活において感じた内容などを書いています。すべて個人用にまとめているものですが、第三者にもわかるようにまとめています。
    しかし、深遠な原理の内容を本当の意味において理解するのは、堕落人間が生涯を研究に没頭しても成せるものではないと思っております。よって、誤りや足らない内容が多々あると思いますし、その内容は、統一教会(世界基督教統一神霊協会)の公式見解と必ずしも一致するものではございません。ご了承ください。
  • コメントや質問は『原理講論』を全文を読まれたことがある方のみとさせていただきます。
  • 聖書の引用は原理講論の引用と同じ「口語訳」を用いております。
  • 何度も引用する「統一思想要綱」とは、宗教色が強い「統一原理」を思想的にまとめられた書物で「統一思想」あるいは「頭翼思想」と呼ばれております。引用元の書物は「新版 統一思想要綱(第二刷)」です。
 「原理講論」解説の構成
  • 各ページは、「本文」+「概要」+「補足」で構成されています。
  • サイトのメニューは『原理講論』の目次と同一です。『原理講論』では「総序」から「第七章 キリスト論」までを”前編”、「緒論」から「第六章 再臨論」までが”後編”となっておりますが、メニューには前編、後編の記載しておりません。
  • 本文の色分けは、『原理講論 色付き標準縦書き版』(世界基督教統一神霊協会 伝道教育局 翻訳・編集)と同様、重要度順に赤・青・黄の三色表示がなされています(従来は”赤・青・緑”の3色でしたが2003年改訂され、着色部の変更並びに使用色が緑から黄色へと変更されました)。
 統一原理を学んだことがある方へ

 文氏は2008年8月31日の訓読会の御言で、以下のように語られました。

「原理解説」の次に「原理講論」が出てきて、その次には「原理原本論」、「原理本体論」だ。「原理講論」が出てきたので、その次には「原理本論」が出てくるべきで、 本体論の本論を成した人が出てこなければならず、原理の主人が出てこなければならない。すなわち、実体と一体なった「原理一体論」、「神様の本体論」が出てこなければならない。「原理本体論」は、根本になる神様本体論だ。

『原理講論』と『原理本体論』の違い

 どちらも同じ『原理講論』が教材となりますが、『原理講論』は堕落人間に対して人間の視点から書かれた統一原理で、『原理本体論』は堕落とは関係のない創造本然の人間に対して神様の視点から書かれた統一原理であると言えます。このサイトも、神様の視点から統一原理を解説することを心がけています。以下、文氏のみ言葉です。

 原理本体論というのは、神様の実体を教えて絶対性教育をするところにその根本的意味がある。原理本体論教育で最も重要なのは、神様、絶対性、真の父母を正しく知るようにすることだ。(2011.9.15)

 「原理本体論」では不足であり、「原理原相論」でなければならない。『統一思想』で本体論をいうとき、原相論から始めているが、これは本体がある前に本然のかたちがあったかだ。(2008.11.15)

 「原理本体論」を超え、神様の「原相論」が出てこなければならない。本体を知っても、神様の胸中にある、育って出てくる内的な神様がわからなければならない(2009.1.4)

 「原理本体論」の次には「原相論」が出てこなければならない。本体の体になる前の原相であり、これは神様が内的に育って出てきたものを中心としたものだ。(2009.1.9)

 「原理本体論」は、神様に対して説明するものだが、「原理本体論」を超えて「原相論」にならなければならない(2009.1.11)

 「原理本体論」の上に「原理原相論」、すなわち堕落する前の神様の「原相論」が出てくる。(2009.1.12)