第二節 モーセを中心とする復帰摂理 その4

(二)モーセを中心とする民族的カナン復帰路程 その3

(3) 第三次民族的カナン復帰路程

① 信 仰 基 台

本文

イスラエル民族の不信仰により、第二次民族的カナン復帰路程が失敗に終わったので、モーセがこの路程の「信仰基台」を復帰するために立てたミデヤン荒野の四十年期間は、再び、サタンの侵入を受ける結果となってしまった。それゆえに、イスラエル民族が偵察四十日期間を、信仰と従順をもって立てることができなかったので、日を年に換算して、荒野を経てカデシバルネアに戻るまでの四十年期間は、モーセにおいては、第二次路程の「信仰基台」に侵入したサタンを分立して、第三次路程の「信仰基台」を蕩減復帰するための期間となった。したがって、この荒野の四十年間を、ひたすら信仰と忠誠をもって、幕屋を信奉しながら流浪したあと、カデシバルネアに再び戻ってきたモーセは、第三次民族的カナン復帰路程のための「信仰基台」を立てることができたのであり、それによってこの路程の、民族的な「実体献祭」のためのアベルの立場も確立するようになったのである。

概要

② 実 体 基 台

本文

イスラエル民族が、偵察四十日路程を、信仰と従順とをもって立てることができず、不信と反逆をもって失敗したために、「幕屋のための基台」は、依然としてサタンの侵入を受けたものとなっていたから、第二次路程のための「実体基台」は造成されなかったのである。しかし、幕屋を忠誠をもって信奉した、モーセの幕屋のための「信仰基台」は、そのまま残っていたので、この基台の上でイスラエル民族が、荒野流浪の四十年期間を、変わらぬ信仰をもって幕屋を信奉しているモーセに、従順に屈伏することにより、偵察四十日に侵入したサタンを分立する基台を立てるならば、そのときに、幕屋のための「実体基台」が造成されると同時に、「幕屋のための基台」もつくられるようになるのである。そしてこの基台の上にイスラエル民族が、信仰と従順とをもって、幕屋を中心としてモーセに仕え、カナンに入るならば、そのときに、第三次民族的カナン復帰路程における「実体基台」がつくられるようになっていたのであった。

したがって、荒野の四十年流浪期間は、モーセにおいては、第三次路程における「信仰基台」を立てるための期間であったのであり、またイスラエル民族においては、「幕屋のための基台」を立てたのち、第二次路程で彼らがモーセに仕えて幕屋を建設した立場に戻ることによって、第三次路程の「出発のための摂理」をつくるための期間であったのである。のであった。

概要
(イ) モーセを中心とする実体基台
本文

石板と幕屋と契約の箱は、イスラエル民族が荒野で不信に陥ったために受けるようになったということについては、既に論じたはずである。すなわちイスラエル民族が、彼らの第二次民族的カナン復帰路程において、神がその「出発のための摂理」として行われた三大奇跡を、信じない立場に立っていたので、それを蕩減復帰なさるために、神は彼らに四十日の試練期間を経させたのち、石板と幕屋と契約の箱という三大恩賜を下し給うたのであった。そしてまた、ヤコブがハランでカナンに復帰しようとしたとき、ラバンがヤコブを十回も欺いたのを(創三一・7)、蕩減復帰するために、十災禍を下されたのであるが、イスラエルがまたもこれを信じない立場に立ってしまったので、それを再び蕩減復帰するため、十戒のみ言を下さったのである。ゆえに、イスラエル民族が石板と幕屋と契約の箱とを信奉することにより、三大恩賜と十戒を守るならば、彼らは第二次路程において、三大奇跡と十災禍をもってエジプトを出発したときのその立場に戻るようになるのであった。したがって、イスラエル民族が、信仰と従順とをもってモーセに従い、荒野四十年の蕩減期間を終えてカデシバルネアに戻ったのち、モーセと共に「幕屋のための基台」の上で石板と幕屋と契約の箱を信奉したならば、彼らは、第二次路程で三大奇跡と十災禍をもってエジプトを打つことにより、「出発のための摂理」の目的を完遂した立場に、再び立つようになっていたのであった。ところで、石板は契約の箱の縮小体であり、契約の箱は幕屋の縮小体であるので、結局、石板は幕屋の縮小体ともなるのである。それゆえに、契約の箱と幕屋は、石板、あるいは、その根である磐石(岩)をもって表示することができるのである。したがって、第三次民族的カナン復帰路程は、磐石を中心とした「出発のための摂理」により、カデシバルネアを出発することによって始まる。そして、イスラエル民族が、信仰と忠誠をもって幕屋を信奉し、モーセに従ってカナンに入れば、そのとき第三次民族的カナン復帰路程における「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられ、モーセを中心とする「実体基台」がつくられるようになっていたのであった。

それでは、神は磐石を中心とする「出発のための摂理」をいかに完遂しようとされたのであろうか。荒野の四十年期間をみ意にかなうように立てることができず、再び不信に陥っていくイスラエルの民族を(民数二〇・4、5)救うために、神はモーセをしてイスラエルの会衆の前で、杖をもって岩(磐石)を打ち、水を出させて、それを彼らに飲ませられたのであった(民数二〇・8)。もしモーセが、杖で磐石を一度だけ打ち、水を出して飲ませることにより、イスラエル民族が神の権能に対して認識を新たにし、彼を中心として一つになったならば、彼らはモーセと共に「幕屋のための基台」の上に立ち、磐石を中心とする「出発のための摂理」を成就したはずであったのである。そして、そのときから、モーセを信じて彼に仕え、彼に従ってカナンの地に入ったならば、彼らは「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てることになるから、第三次路程のモーセを中心とする「実体基台」を、そのときつくることができたはずであった。ところがモーセは、水がないといって不平を言い、つぶやいている民を見たとき、憤激のあまり、燃えあがる血気を抑えることができず、杖をもって磐石を二度打ったので、神は「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」(民数二〇・12)と言われたのである。モーセはこのように一度打つべきであった磐石を二度打ったので、磐石を中心とする「出発のための摂理」は、成就することができなくなり、結局は、約束されたカナンの福地を目の前に眺めながら、そこに入ることができなかったのである(民数二〇・24、民数二七・12~14)。

我々はここで、磐石(岩)を一度だけ打たなければならなかった理由と、また、二度打ったのがなぜ罪となったのであるか、ということについて調べてみることにしよう。黙示録二章17節では、イエスを白い石で象徴しており、また、コリント・一〇章4節を見れば、岩(磐石)はすなわちキリストであると記してあるのを発見できる。ところで、堕落論で明らかにしたように、キリストは生命の木として来られた方であるから(黙二二・14)、磐石は、すなわち生命の木ともなるのである。また、創世記二章9節の生命の木は、エデンの園において、将来、完成するはずのアダムを象徴したのであって、この生命の木もまた、磐石を意味するものでなければならないから、磐石は完成したアダムを象徴することにもなるのである。

ところで、サタンはエデンの園で、将来磐石となるはずであったアダムを打って堕落させた。そこでアダムは、生命の木となることができなかったので(創三・ 24)、彼はまた、神から流れている命の水を永遠にその子孫たちに飲ませ得る磐石(岩)ともなれなかったのである。それゆえに、モーセが杖をもって打つ以前の、水を出し得なかった磐石は、堕落したアダムを象徴するものであった。サタンは、将来、命の水を出し得る磐石となるべく成長してきたアダムを、一度打って堕落させることにより、彼を「水を出せない磐石」としてのアダムに変えてしまったので、神はこの水を出せないアダムの表示体である磐石を一度打って水を出すようにし、それによって、「水を出し得る磐石」として、このアダムを蕩減復帰することができる条件を立てようとされたのである。ゆえに、モーセが一度打って命の水を出すようになった磐石は、とりもなおさず生命の木として来られて、堕落した人間に命の水を下さるはずのイエスを象徴したのであった。それゆえに、イエスは「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ四・14)と言われたのである。したがって、モーセが磐石を一度打つということは、堕落した第一アダムを、完成した第二アダム、すなわち、イエスに蕩減復帰することができる条件として許されたのであった。ところが、モーセが天の側から一度打って水を出すようになっている磐石を、もう一度打ったという行動は、将来復帰した石として来られ、万民に命の水を飲ませてくださるはずのイエスを打つことができるという表示的な行動となったのである。このように、イスラエル民族の不信と、それを目撃したモーセが血気をもって石を二度打った行動は、将来イエスが来られるときにも、イスラエル民族が不信に陥るならば、磐石(岩)の実体となられるイエスの前に、サタンが直接、出現し得るという条件を、成立させたことになるので、それが罪となったのである。

モーセが、石板を一度壊したことは復帰することができた。しかし、磐石を二度打つという失敗は復帰することができなかった。それではその理由はいったいどこにあったのであろうか。復帰摂理から見て、石板と磐石とは、外的なものと内的なものとの関係をもっている。十戒が記録されている石板は、モーセの律法の中心であるので、結局、旧約聖書の中心となるのである。旧約時代のイスラエル民族は、この石板理想を信ずることによって、その時代の救いの圏内に入ることができた。このような意味から、石板は将来来られるイエスに対する、外的な表示体であったということを知ることができるのである。

ところが、コリント・一〇章4節に、磐石(岩)はすなわち、キリストであると言われたみ言のとおり、磐石はイエスを象徴すると同時に、石板の根となるので、それは、石板の実体であられるイエスの根、すなわち、神をも象徴するのである。それゆえに、石板を外的なものであるとすれば、磐石は内的なものとなる。また、石板を体に例えるならば、磐石は心に該当するのであり、石板を聖所であるとするならば、磐石は至聖所となるのである。そしてまた、石板を地に例えるならば、磐石は天に該当する。ゆえに、磐石は石板よりももっと大きな価値をもっているイエスに対する内的な表示体なのである。

このように、石板はイエスに対する外的な表示体であったので、それはまた神を象徴するモーセの前で(出エ四・16、同七・1)、イエスの外的な表示体として立てられていたアロンを象徴したのであった。ところが、イスラエル民族がアロンに金の子牛をつくらせたので(出エ三二・4)、アロンの信仰が壊れるや、石板もまた、壊れてしまったのである。ところがアロンがレピデムで、磐石の水を飲んだ基台の上で(出エ一七・6)悔い改めることにより蘇生することができたので、アロンを象徴する石板も、磐石の水の内的な基台の上で、再び、蕩減条件を立てることにより、復帰することができたのである。しかし、石板の根である磐石は、キリストとその根である神を象徴するものであるから、これを打った行動は挽回することができなかったのである。それでは、モーセが磐石を二度打ったことは、いかなる結果をもたらしたのであろうか。モーセが磐石を二度打ったことは、不信に陥っていくイスラエルに対する血気を抑えることができなかった結果であるので(詩一〇六・32、33)、この行動は結局、サタンの立場で行ったこととなるのである。したがって、磐石をもって成就しようとされた「出発のための摂理」は、再び、サタンの侵入を受けた結果となってしまったのである。

このように、モーセが磐石を二度打った外的な行動は、サタンの行動になってしまったが、内的な情状においては、その磐石から水を出して、イスラエルの民に飲ませ、彼らを生かしたのであった。それゆえに、エジプトから出てきた外的なイスラエル民族は、ヨシュアとカレブを除いては、みな、神が予定されたカナンの地に復帰することができず、モーセも一二〇歳を一期として望みの地を目前に眺めながら死んでいったのである(申命三四・4、5)。しかし、ヨシュアがモーセの代わりに(民数二七・18~20)、磐石の水を飲み、幕屋を信奉する荒野路程の中で出生した内的なイスラエルを導いてカナンの地に入ったのであった(民数三二・11、 12)。

モーセが、磐石を二度打った行動が、サタンの侵入を受ける結果をもたらしたとすれば、その磐石からは水が出るということはあり得ないはずであったのである。それでは、どのようなわけで、そこから水が出るようになったのであろうか。第二次民族的カナン復帰路程において、モーセは既にレピデムで神の命令に従い、磐石を打って水を出し、イスラエル民族に飲ませることによって、磐石の水の基台をつくったのであった(出エ一七・6)。そして、この基台の上で立てられた石板と幕屋と契約の箱は、他のすべてのイスラエル民族が不信に陥ったときにも、四十日の断食の祈りをもって立てた、幕屋のための「信仰基台」の上で、それを固く守ってきたモーセ一人の信仰によって、第三次民族的カナン復帰路程にまで継承されてきた。その後、このモーセまでが、不信の立場に陥ってしまったのであるが、神に対する彼の心情は変わらなかったし、また、ヨシュアが、彼の偵察四十日をもって立てた「幕屋のための基台」の上で、不変の信仰をもって、石板と幕屋と契約の箱を信奉していたので、レピデムで立てられた磐石の水の基台も、ヨシュアを中心としてそのまま残っていたのである。

このように、モーセの外的な不信の行動によって、第二次の磐石が外的にはサタンの侵入を受けるようになったのであるが、彼の内的なる不変の心情と、ヨシュアの信仰と忠誠とによって、それが、内的には、水を出して飲み得るという条件となったのであった。

ところで、モーセが磐石を二度打ったことは、結果として、サタンの立場で打ったことになるので、その石は、サタンが所有するようになったのである。したがって、その石の実体として来られたイエスは、その世界的カナン復帰路程で、ユダヤ人たちが不信に陥ってしまったとき、既に、彼らが荒野で失ったこの磐石を、自ら取り戻そうとして荒野に出られたので、サタンから石をパンに変えよという試練を真っ先に受けられたのであった。

モーセがイスラエルの不信により、外的には血気にはやり、磐石を二度打ったので、彼の肉身はサタンの侵入を受け、荒野で死んだのであるが、内的には、彼の不変の心情によって磐石の水を出して飲ませたので、霊的にはカナンに入ることができたのである。これは、将来、磐石の実体であられるイエスが来られるときにも、ユダヤ民族が不信に陥るようになれば、イエスもその肉身がサタンの侵入を受けて、十字架につけられるので、霊肉併せての世界的カナン復帰は完遂することができず、復活されることによって、霊的にのみそれを完遂されるということを見せてくださったのであった。

モーセが、磐石を二度打ったのち、神は不信に陥っていくイスラエルに、火の蛇を送られ、彼らをかんで死ぬようにせられた(民数二一・6)。しかし、イスラエルが悔い改めるようになったとき、神は、モーセに青銅の蛇をつくらせ、それをさおの上に掛けるように計らわれ、その青銅の蛇を仰いで見る人だけは救われるようにされたのであった(民数二一・9)。この火の蛇は、エバを堕落させた昔の蛇、すなわち、サタンを象徴したのであり(黙一二・9)、さおの上に掛けた青銅の蛇は、将来天の蛇として来られるイエスを象徴したのであった(ヨハネ三・14)。これは神がイスラエル民族が不信に陥ったときには、彼らをサタンに手渡されたのであったが、彼らが悔い改めて信仰を取り戻したときには、再び、青銅の蛇をもって生かしてくださったのと同じく、後日、イエスのときにおいても、ユダヤ人たちが不信に陥れば、神は彼らをサタンに手渡さなければならないということと、そのときにイエスは人類を生かすために、やむを得ず、天の蛇として十字架にかけられなければならないということと、さらにまた、不信を悔い改めて彼の十字架による救いを信ずる者は、だれでも救ってくださるということを見せてくださったのであった。それゆえに、イエスは「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と言われたのである。このことは事実上、イエスを中心とする第三次世界的カナン復帰路程を、十字架による霊的路程として出発するようにさせた遠因となったのである。

イスラエルの不信によって、モーセが磐石を二度打ったとき、神は、モーセがカナンの地に入ることはできないだろうと預言された(民数二〇・12)。これに対してモーセは、神にカナンの地に入ることができるようにと哀願の祈りを切実にあげたのであるが(申命三・25)、彼はついに、カナンの地を目の前に見おろしながら息絶えたのであった。このようにして彼が死んだのち、その死体は葬られたが、今日までその墓を知る人は一人もいない(申命三四・6)。これは将来来られるイエスも、もしユダヤ人たちが不信に陥れば十字架にかけられなくてはならないこと、またそのとき、できることなら死の杯を免れて、世界的カナン復帰を成就させてくださるようにとの哀願の祈祷をなさるであろうが、結局はその目的を達成することができず、亡くなられるであろうということ、さらにまた、彼の死体も葬られたのちには、その行方を知る人が一人もいないであろうということなどを、あらかじめ表示してくださったのであった。

(ロ) ヨシュアを中心とする実体基台
本文

モーセが磐石を二度打つことによって、イスラエル民族が磐石を中心とする「出発のための摂理」をもってカナンに復帰しようとした目的は完遂されなかった。しかし、モーセが磐石を二度打つことによって(民数二〇・1~13)、サタンが外的には侵入したが、レピデムにおける磐石の水の基台によって、内的にはそのまま磐石の水を出し、イスラエル民族に飲ませることができたという事実から、先に明らかにしたように、次のような、神の摂理に対応する、いま一つの路程を見せてくださったのである。すなわち、イスラエル民族の中で、サタン世界であるエジプトにおいて出生し、荒野路程で不信に陥った、外的なイスラエルに属する人たちは、偵察四十日を信仰をもって立てたヨシュアとカレブを除いては、全部が荒野で倒れてしまい、磐石の水を飲み、幕屋を信奉する、荒野生活中に出生した内的なイスラエルだけが、モーセの代理であるヨシュアを中心として、カナンに入ったという事実である(民数三二・11、12)。そして、神はモーセに、彼はカナンの地に入ることができないと言われ、「神の霊のやどっているヌンの子ヨシュアを選び、あなたの手をその上におき、彼を祭司エレアザルと全会衆の前に立たせて、彼らの前で職に任じなさい。そして彼にあなたの権威を分け与え、イスラエルの人々の全会衆を彼に従わせなさい」(民数二七・ 18~20)と語られた。

ヨシュアは、偵察四十日期間に不信に陥ってしまった全イスラエル民族の中で、モーセが立てた幕屋のための「信仰基台」の上に雄々しく立ち、変わらざる信仰と忠節をもって、「幕屋のための基台」を造成し、最後までそれを信奉した、たった二人のうちの一人であった。このように、たとえモーセは不信に陥っても、石板と幕屋と契約の箱とは、依然としてヨシュアが立てた「幕屋のための基台」の上におかれていたのである。それゆえに神は、ヨシュアをモーセの代理として立てられ、その内的イスラエルの民を彼に服従させ、彼と共に、「幕屋のための基台」の上に立たせることによって、磐石の水を中心とする「出発のための摂理」を成就され、この摂理に基づいて彼らがカナンの地に入ることにより、そこで、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、第三次路程のヨシュアを中心とする「実体基台」をつくらせようとされたのであった。

そして神は、「彼(ヨシュア)はこの民に先立って(カナンに)渡って行き、彼らにおまえ(モーセ)の見る地を継がせるであろう」(申命三・28)と言われたのである。そしてまた、神は、ヨシュアにも、「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない」(ヨシュア一・5、6)と言われた。モーセがミデヤンの荒野生活四十年を神のみ意にかなうように立てたとき、神が彼の前に現れて、イスラエル民族を、乳と蜜の流れるカナンの地へ導くようにと命ぜられたように(出エ三・8~10)、神は荒野で流浪する四十年を、ひたすら信仰と忠誠とをもって過ごしてきたヨシュアを、モーセの代理として召され、「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい」(ヨシュア一・2)と命令されたのである。

神からこの命令を受けたヨシュアが、民のつかさたちを呼んで、神から受けたこのようなみ旨を伝えたとき(ヨシュア一・10)、彼らはヨシュアに、「あなたがわれわれに命じられたことをみな行います。あなたがつかわされる所へは、どこへでも行きます……だれであっても、あなたの命令にそむき、あなたの命じられる言葉に聞き従わないものがあれば、生かしてはおきません。ただ、強く、また雄々しくあってください」(ヨシュア一・16~18)と答えながら、彼らは死を誓ってヨシュアに従うことを決意したのであった。このように、モーセの使命を代理してでたヨシュアは、初臨のときの使命を継承して完成するために再臨なさるイエスを象徴したのである。したがって、モーセ路程を蕩減復帰するヨシュアの路程は、イエスの霊的復帰の路程を蕩減復帰しなければならない、彼の再臨路程に対する表示的路程となるのである。

モーセが第二次路程でカナンの地に偵察として送った十二人がいた(民数一三・1、2)。彼らの中でひたすら忠誠をもって、その使命を完遂した二人の心情の基台の上に、ヨシュアは再び二人の偵察(斥候)をエリコ城に送った(ヨシュア二・1)。その際、エリコ城の偵察を終えて戻ってきた二人の偵察者は、「ほんとうに主はこの国をことごとくわれわれの手にお与えになりました。この国の住民はみなわれわれの前に震えおののいています」(ヨシュア二・24)と、信仰をもって報告したのである。このとき、荒野で出生したイスラエルの子孫たちは、みなその偵察者の言葉を信じたので、これをもって、過去に四十日偵察を、み意にかなうように立て得なかった先祖たちの罪を、蕩減することができたのであった。

このように、内的イスラエルが「幕屋のための基台」の上に立ったヨシュアに従うことに対して死をもって誓ったので、彼らはヨシュアと共に、その基台の上に立つことができたのである。こうして、彼らは、磐石の水を中心とする「出発のための摂理」をもって、第二次路程において、三大奇跡と十災禍で、「出発のための摂理」をなした、モーセを中心とする彼らの先祖たちと同じ立場を復帰したのであった。したがって、モーセを中心とするイスラエルが、紅海を渡る前に三日路程を立てたのと同じく、ヨシュアを中心としたイスラエルもまた、ヨルダン河を渡る前に、三日路程を立てたのである(ヨシュア三・2)。また、第二次路程で三日路程を経たイスラエルを、雲の柱と火の柱とが紅海まで導いたのと同じく、ヨシュアを中心とするイスラエルも、彼らが三日路程を経たのちに、雲の柱と火の柱とで表象されたイエスと聖霊の象徴的な実体である契約の箱が、彼らをヨルダン河まで導いたのであった(ヨシュア三・3、同三・8)。

そして、モーセを導いていた杖によって紅海が分けられたように、ヨシュアを導いていた契約の箱がヨルダン河の水際に浸ると同時に、岸一面にあふれていたヨルダンの流れが分かれて(ヨシュア三・16)、ついてきたイスラエルの民は、陸地のように河を渡ったのである(ヨシュア三・17)。杖は、将来来られるイエスに対する一つの表示体であったし、二つの石板とマナ、そして、芽を出したアロンの杖の入っている契約の箱は、イエスと聖霊の象徴的な実体であった。それゆえに、契約の箱の前でヨルダン河の水が分かれて、イスラエルの民がたやすくカナンの地に復帰することができたということは、将来来られるイエスと聖霊の前で、水で表示されているこの罪悪世界(黙一七・15)が、善と悪とに分立されて審判を受けたのち、すべての聖徒が、世界的カナン復帰を完成するようになるということを見せてくださったのである。

このとき神はヨシュアに命じられて、「民のうちから、部族ごとにひとりずつ、合わせて十二人を選び、彼らに命じて言いなさい、『ヨルダンの中で祭司たちが足を踏みとどめたその所から、石十二を取り、それを携えて渡り、今夜あなたがたが宿る場所にすえなさい』」(ヨシュア四・2、3)と言われた。そしてイスラエルの民は、正月十日に、ヨルダン河から上がってきて、エリコの東の境にあるギルガルに宿営して、ヨルダン河から取ってきた十二の石をそこに立てたのであった(ヨシュア四・20)。それでは、このことはまた、何を予示しているのであろうか。既に論じたように、石は将来来られるイエスを象徴する。したがって、十二の部族(支派)を代表した十二人が、契約の箱によって水が分かれたヨルダン河から、十二の石を取ったということは、将来十二部族の代表(型)として召命されるはずのイエスの十二人の弟子たちが、イエスのみ言によって、この罪悪世界が善と悪とに分かれるとき、そこでイエスを信奉しなければならないということを、見せてくださったのである。

彼らが十二の石を取って、カナンの地の落ち着いた宿営地に、ひとところに集めて置いたとき、ヨシュアは「このようにされたのは、地のすべての民に、主の手に力のあることを知らせ、あなたがたの神、主をつねに恐れさせるためである」(ヨシュア四・24)と言った。これは、将来石として来られるイエスに仕える十二人の弟子たちが、一つの心で一つの目的に向かい、一つの所で一致団結してこそ、世界的カナン復帰を完成して、神の全能性を永遠にたたえることができるということを、予示してくださったのであった。

ヤコブがどこへ行っても石の塚をつくったように、ヤコブの十二子息の子孫である十二部族(支派)の代表者たちも、十二の石を一カ所に集めて、神をたたえる祈祷の祭壇をつくり、将来神殿を建築するということを見せてくださったのであるが、これはとりもなおさず、イエスの十二弟子たちが力を合わせて、イエスを神殿として信奉しなければならないということを表示してくださったのである。後日、イエスの弟子たちが一つにならなかったとき、イエスは、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」(ヨハネ二・19)と言われた。果たして、十二弟子たちは一つになることができず、イスカリオテのユダがイエスを裏切ったので、神殿であられるイエスは、十字架によって壊されてしまい、三日後に復活されて、ばらばらに四散してしまった弟子たちを再び呼び集められてから、初めてその弟子たちは、復活したイエスに仕えて、霊的な神殿として信奉するようになったのであるし、また再臨されたのちには、実体の神殿として侍ることができるようになったのであった。

イスラエル民族がエジプトをたって、カナンの地に向かい、第二次路程を出発するとき、その年の正月十四日の過越の祭を守ってから進軍したと同じく(出エ一二・17、18)、ギルガルに宿営したヨシュアを中心とするイスラエルの民も、その年の正月十四日の過越の祭を守ってのち、固く閉ざされていたエリコの城壁に向かって進軍したのであった。かくて、土から産する穀物を食べはじめたとき、四十年間続けて頂いていたマナも、やんでしまったので、そのときからは人間が汗を流してつくった食糧をもって、生活しなければならなくなったし、また、サタンの都城の最後の関門を通りぬけるときにおいても、人間として果たすべきその責任を、全うしなければならなかったのである。イスラエル民族は、神の命令により、四万の兵士が先頭に立ち、そのあとにつき従って七人の祭司長たちが、七つのラッパを吹きながら行進し、またそのあとには、レビ部族の祭司長たちが担いだ契約の箱(ヨシュア三・3)が従い、最後の線にはイスラエルの全軍が続いて進軍したのであった(ヨシュア六・8、9)。

神が命じられたとおり、イスラエル民族は、このような行軍をもって一日に一度ずつ六日間、城を回ったのであるが、その城には何らの変動も起こらなかった。彼らは忍耐と服従とをもって、サタンの侵入を受けた六日間の創造期間を蕩減復帰しなければならなかったのである。彼らがこのような服従をもって六日間を立てたのち、七日目に七つのラッパを吹く七人の祭司たちが、城を七度回りながら七度目にラッパを吹いたとき、ヨシュアがイスラエルの民に向かって、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった」と号令すると、民はみなこれに応じて、一斉に大声をあげて呼ばわったので、その城が、たちまちにして崩れてしまったのであった(ヨシュア六)。このような路程は、将来、イエスの権能とその聖徒たちとによって、天と地との間をふさいでいたサタンの障壁が崩れてしまうことを見せてくださったのである。それゆえに、この城壁は、再び築きあげてはならなかったので、ヨシュアは「このエリコの町を再建する人は、主の前にのろわれるであろう。その礎をすえる人は長子を失い、その門を建てる人は末の子を失うであろう」(ヨシュア六・26)と言ったのであった。

このように、破竹の勢いをもって敵を攻撃したヨシュアは、ベテホロンの戦いにおける十九王と、メロムの激戦における十二王を合わせて、三十一王を滅ぼしたのであるが(ヨシュア一二・9~24)、これも、イエスが王の王として来られ、他国の王たちをみな屈伏させて、その民を救い、地上天国を建設されるということを前もって見せてくださったのである。

概要

③ メシヤのための基台

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イスラエル民族は偵察四十日のサタン分立期間を立てることができず、第二次民族的カナン復帰路程に失敗し、この期間を再蕩減するために第三次民族的カナン復帰路程を出発して、荒野において四十年を流浪し、再びカデシバルネアに戻った。このときのモーセは、第三次路程のための「信仰基台」をつくったのであり、イスラエル民族は「幕屋のための基台」の上に立つことができたのである。ところが、その後のイスラエルの不信と、それによって磐石を二度打ったことにより、この二つの基台はみなサタンの侵入を受けるようになったのである。そして、モーセを中心としてエジプトを出発した外的イスラエルは、一人残らず荒野で滅ぼされてしまったのであるが、ヨシュアとカレブだけは、モーセが立てた第二次路程の「信仰基台」と、幕屋のための「信仰基台」の上で、偵察四十日のサタン分立期間を信仰と忠誠をもって立てたので、「幕屋のための基台」が造成されたのである。このように、モーセを中心とした外的イスラエルは、全部荒野で倒れてしまったが、幕屋を信奉する荒野生活中に出生した内的イスラエルは、モーセの身代わりであるヨシュアを中心として忠誠を尽くし、契約の箱を信奉してヨルダン河を渡り、エリコの町を打ち破って、カナンに入ったのであった。このようにして、第三次の民族的カナン復帰路程の「実体基台」がつくられ、その結果としてこの路程の「メシヤのための基台」が造成されることによって、アブラハムのときに立てられた「メシヤのための家庭的な基台」は、彼の供え物の失敗による四〇〇年エジプト苦役の蕩減路程を経たのち、初めて「メシヤのための民族的な基台」が造成されるようになったのである。ところが、既に後編第一章第三節(三)を通じて詳しく論じたように、そのとき既に、堕落人間たちが、サタンを中心として、エジプト王国などの強大な王国を建設し、天の側の復帰摂理と対決していたので、ヨシュアを中心として「メシヤのための民族的な基台」が立てられたといっても、その基台の上でサタンと対決することのできる天の側の王国が建設されるときまでは、メシヤは降臨なさることができなかったのである。ところで、カナンに入った内的イスラエルも、また不信に陥り、この摂理は、再び延長を重ねてイエスのときにまで至ったのである。

(三)モーセ路程が見せてくれた教訓

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モーセ以後今日に至るまで、悠久なる歴史路程を通じて神のみ旨を信奉してきた数多くの信徒たちが、モーセに関する聖書の記録を読んできた。しかし、それはただ、モーセ自身の歴史に関する記録であるとだけ考えてきたのであり、神が彼を通して、復帰摂理に関するある秘密を教えてくださろうとしたのだということを知る人は一人もいなかったのである。イエスもヨハネ福音書五章19節で、子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができないという程度にしか言われず、モーセ路程の根本意義を明らかにされないまま、亡くなられたのであった(ヨハネ一六・12)。

ところが、我々はここにおいて、モーセがいかにして復帰路程のための、公式的な、あるいは、典型的な路程を歩いたかということを明らかにしたのである。これが将来、イエスの歩まれる道を、そのとおりに予示されたものだということについては、本章の第三節を対照することによって、なお詳しく理解することができるであろう。我々はここにおいて、モーセを中心とした摂理一つだけを見ても、神がおられて、一つの絶対的な目的を指向し、人類歴史を導いてこられたということを、否定することはできなくなるのである。

つぎに、モーセ路程は、人間がその責任分担を遂行することができるか否かによって、その人間を中心とする神の予定が成就されるか、されないかが決定されるということを、見せてくださったのである。神の予定も、その予定のために立てられた人物自身が、その責任分担を完遂できないと、その人物を中心としてはそれが達成されないのである。神は、モーセがイスラエル民族を導いて、乳と蜜の流れるカナンの地に入ることを予定され、彼にこれを命令されたのであった。ところが、彼らが責任を全うすることができなかったので、エジプトを出発したイスラエル民族の中で、ヨシュアとカレブだけがカナンに入り、残りの人々はみな荒野で倒れてしまったのである。

そして、神は人間の責任分担に対しては一切干渉されず、その結果だけを見て主管なさるということを見せてくださった。神はかくも驚異的な奇跡をもって、イスラエルの民を導いてくださったのであるが、モーセが石板を受ける間、彼らが金の子牛の偶像をつくった行動と、モーセが磐石を二度打った行動に対しては、何らの干渉もされなかったのであり、ただ、その結果だけを御覧になって、主管されたのであるが、これはどこまでも、彼ら自身が、独自的に歩まなければならない責任分担であったからである。

また、み旨に対する神の予定の絶対性を見せてくださった。神が目的を予定されて、それを成就なさろうとすることは絶対的であるから、モーセがその責任を全うすることができなかったときには、彼の代理としてヨシュアを立ててまでも、一度予定された目的は、必ず成就されたのである。このように、神が立てられたアベル的な人物が、その使命を全うすることができないときには、カインの立場で忠誠を尽くした人が、彼を代理してアベルの使命を継承し完成するようになるのである。イエスが「天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」(マタイ一一・12)と言われたみ言は、とりもなおさず、このような事実について言われたものなのである。

つぎには、大きな使命を担う人物であればあるほど、彼を試みる試練もまた、それに比例して大きいということを見せてくださった。人間始祖が、神を信じないで遠ざかったがゆえに堕落したのであったから、「信仰基台」を復帰する人物は、神が見捨てられるという試練に勝たなければならなかったのである。それゆえにモーセは、神が彼を殺そうとされた試練に打ち勝ったのちに(出エ四・24)、イスラエルの指導者として立つことができたのである。

そもそもサタンは、堕落を条件として人間に対応するようになったのであるから、神も、何らの条件なくして人間に恩賜を賜ることはできない。なぜなら、そうしないと、サタンが訴えるからである。ゆえに神が人間に恩賜を賜ろうとするときには、その恩賜と前後して、サタンの訴えを防ぐための試練が必ず行われるのである。モーセ路程でその例を挙げてみると、モーセにはパロ宮中四十年の試練があったのちに、第一次の出エジプトの恩賜が許されたのであり、またミデヤン荒野四十年の試練を経たのちに、神は第二次の出エジプトの恩賜を賜ったのであった(出エ四・2~9)。また神は、モーセを殺そうとする試練があったのちに(出エ四・24)三大奇跡と十災禍の奇跡を下さったのであり(出エ七・10~)、三日路程の試練があったのちに(出エ一〇・22)雲の柱と火の柱の恩賜を賜ったのである(出エ一三・21)。そしてまた、紅海の試練を経てから(出エ一四・21、22)、マナとうずらの恩賜(出エ一六・13)があったのであり、アマレクとの戦いによる試練(出エ一七・10)があったのちに、石板と幕屋と契約の箱の恩賜(出エ三一・18)があったのである。それから、四十年間荒野で流浪した試練(民数一四・33)があってから磐石の水の恩賜(民数二〇・8)があったのであり、火の蛇の試練を経たのちに(民数二一・6)、青銅の蛇の恩賜(民数二一・9)があったのである。モーセ路程は以上のようにいろいろな教訓を我々に残してくれたのである。

概要