第二節 モーセを中心とする復帰摂理 その3

(二)モーセを中心とする民族的カナン復帰路程 その2

(2) 第二次民族的カナン復帰路程

① 信 仰 基 台

本文

イスラエル民族の不信により、第一次民族的カナン復帰路程は失敗に終わり、モーセが彼の「信仰基台」のために立てたパロ宮中の四十年期間は、サタンの侵入を受ける結果となってしまった。それゆえに、モーセが第二次民族的カナン復帰路程を出発するためには、サタンの侵入によって失った、パロ宮中の四十年期間を蕩減復帰する期間を再び立て、「信仰基台」を復帰しなければならなかったのである。モーセがパロを避けてミデヤンの荒野に入り、再び、四十年期間を送るようになった目的は、とりもなおさず、ここにあったのである。この四十年期間には、イスラエル民族も、モーセを信じなかった罪によって、一層悲惨な生活をしたのであった。

モーセは、ミデヤン荒野における四十年をもって「四十日サタン分立基台」を新たに立てたため、第二次の民族的カナン復帰のための「信仰基台」を復帰することができたのである。それゆえに、神はモーセの前に現れて「エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと……のおる所に至らせようとしている。いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」(出エ三・7~10)と言われたのであった。

概要

② 実 体 基 台

本文

モーセは、ミデヤン荒野の四十年をもって、「四十日サタン分立基台」を再び造成し、「信仰基台」を復帰すると同時に、再び「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てるに当たってのアベルの位置をも確立したのである。したがって、第一次民族的カナン復帰路程の場合と同じく、カインの立場にいたイスラエル民族が、アベルの立場にいたモーセを絶対的に信じ、かつ、彼に従ったならば、神のみ言のとおりに、彼らは乳と蜜の流れるカナンの地に入ることができたわけであるから、ここで、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成できるようになっていたのであった。

第一次民族的カナン復帰路程を出発しようとしたとき、モーセがエジプト人を打ち殺したのと同じ目的でもって、第二次民族的カナン復帰路程を出発するに当たって、神はモーセに、三大奇跡と十災禍を起こす権能を与えられ、エジプト人を打つことによって「出発のための摂理」をされたのである。モーセがサタンの側を打たなければならない理由は、既に明らかにしたように、第一に、サタンが侵入した長子の立場を蕩減復帰し、第二に、イスラエル民族をしてエジプトに対する未練を断つようにさせ、第三に、モーセがどこまでも、神が送られた人であるということをイスラエル民族に知らしめるためであった(出エ四・1~9)。さらに、モーセがエジプト人を打つことができたもう一つの理由があったのであるが、それはイスラエル民族が、神が言われたように、アブラハムの象徴献祭の失敗によるエジプト苦役四〇〇年の蕩減期間を全部満たしたにもかかわらず、その上になお、三十年間を苦役されることにより(出エ一二・ 41)、彼らの嘆きが神にまで達し、神の哀れみを呼び起こし得たという事実である(出エ二・24、25)。

それでは、三大奇跡は、復帰摂理路程において、何を予示したのであろうか。第一の奇跡は、神が命令して見せてくださったとおり(出エ四・3~5)、モーセの命令によって、アロンがその手に持っていた杖をパロの前に投げつけたとき、それが蛇となったというものである。これを見たパロは、自分の魔術師を召し寄せてその杖を投げさせたところ、これもまた、蛇となったのである。ところが、アロンの杖の蛇は彼らの杖の蛇をのみ尽くしてしまった(出エ七・10~12)。それでは、この奇跡は、いったい何を予示したのであろうか。これは、とりもなおさず、イエスが救い主として来られ、サタンの世界を滅ぼすということを、象徴的に見せてくださったのである。神の代わりに、神として立てられたモーセ(出エ七・1)の前で、奇跡を起こしたその杖は、将来、神の前でこのような奇跡を起こすであろう、権能的な面から見た、イエスを象徴したのであった。それと同時にまた、杖は身代わりの支え人、身代わりの保護者として、不義を打ち、真実なる道案内人の使命をするものであるがゆえに、これは将来、イエスが全人類の前で、このような使命を担って来られるということを見せてくださったものであり、その使命の面からイエスを象徴したものであったのである。

そして、イエスを象徴する杖が蛇になったということは、イエスもまた、蛇の役割をしなければならないということを、見せてくださったのである。イエスが「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と、御自分を蛇に例えられた理由は、実にここにあった。またイエスは、その弟子たちに、蛇のように賢くあれ(マタイ一〇・16)と言われた。これは元来、人間始祖が悪い蛇に誘惑されて堕落したのであるから、これを蕩減復帰するために、イエスは善なる知恵の蛇として来られ、悪なる人間たちを誘って善に導かなければならないし、弟子たちも善なる蛇として来られたイエスの知恵を習い、悪人たちを善導しなければならないという意味で、そのように言われたのである。また、モーセの蛇が魔術師の蛇をのみ尽くしたということは、イエスが天の蛇として来られ、サタンの蛇をのみ滅ぼしてしまわれるということを象徴的に見せてくださったのであった。

第二の奇跡は、神の命令によって、モーセが最初に手を懐に入れたときには、その手がらい病にかかっていた。しかし、神の命令によって、再びその手を懐に入れたときには、らい病にかかっていたその手が完全に快復して元の肉のようになっていたのである(出エ四・6、7)。この奇跡は、将来イエスが後のアダムとして来られ、後のエバの神性である聖霊(前編第七章第四節(一))を送られることによって、贖罪の摂理をされるということを、象徴的に見せてくださったのであった。最初に手を懐に入れて、不治のらい病にかかったということは、最初に天使長がエバを懐に抱くことによって、人間が救われ難い立場に堕落してしまったということを意味したのである。そして、その手を再び懐に入れたとき、病気が完全に治ってしまったということは、人類の父性の神であられるイエスが来られて、人類の母性の神であられる聖霊(前編第七章第四節(一))を復帰し、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように(マタイ二三・37)、全人類を、再びその懐に抱くことによって重生せしめ、完全復帰するということを表示されたのであった。

第三の奇跡は、川の水を陸地に注いで血となるようにしたことである(出エ四・9)。これは、無機物(水)に等しい命のない存在が、有機物(血)に等しい命のある存在として復帰されるということを、象徴的に見せてくださったのであった。水は堕落して命を失った世間一般の人間を意味するのであるから(黙一七・15)、この奇跡は将来イエスと聖霊とが来られて、命を失った堕落人間を、命のある子女として復帰されるということを、見せてくださったのである。以上のような三つの権能を行われたのは、イスラエル民族の前に、将来イエスと聖霊とが、人類の真の父母として来られ、全人類を子女として復帰し、サタンに奪われた創造本然の四位基台を復帰することができる、象徴的な蕩減条件を立て得るようにされるためであった。

つぎにモーセが、神に自分の言葉を代理に語れる人を要求したとき、神はその兄アロン(出エ四・14)と、アロンの姉である女預言者ミリアム(出エ一五・20)とを彼に与えられた。これは、将来み言の実体となられるイエス(ヨハネ一・14)と聖霊とが来られて、堕落によってみ言を失った人間を、み言の実体として復帰されるということを、形象的に見せてくださったのであった。それゆえに、アロンとミリアムとがカナンの復帰路程を通じて、神の立場にあったモーセに仕え、彼の身代わりとなって指導の使命を担ったということは、将来イエスと聖霊とが、世界的カナン復帰路程を通して、神のみ旨に従い、身代わりの贖罪使命をされるということを、形象的に見せてくださったのである。

モーセが神の命令を受けパロの前に行く途中で、主が現れてモーセを殺そうとされた。そのときモーセは、彼の妻チッポラがその男の子に割礼を施して許しを請うたおかげで、死を免れることができたのである(出エ四・24~26)。このように、モーセは割礼をもってその試練に勝利したため、彼の家族が生き得たのであり、したがって、イスラエル民族がエジプトから出られるようになったのであるが、これもまた、将来イエスが来られたときに、イスラエルの民族が割礼の過程を経なくては、神の救いの摂理が成就されないということを、前もって見せてくださったのである。

それでは、割礼がいかなる意味をもっているかということについて、調べてみることにしよう。人間始祖は、サタンと血縁関係を結ぶことによって、いわば、陽部を通じて死亡の血を受けたのであった。ゆえに、堕落した人間が、神の子女として復帰されるためには、その蕩減条件として、陽部の皮を切って血を流すことにより、その死亡の血を流してしまったということを示す表示的条件として、割礼を行うようになったのである。それゆえに、この割礼の根本意義は、第一には、死亡の血を流してしまうという表示であり、第二には、男子の主管性を復帰するという表示であり、また第三には、本然の子女の立場を復帰するという約束の表示でもあるのである。ところで、割礼の種類としては、心の割礼(申命一〇・16)と、肉身割礼(創一七・10)、万物割礼(レビ一九・23)などの三種類がある。

つぎに神は、モーセを通じて十災禍の奇跡を行われることにより、イスラエル民族をエジプトから救いだされたのであるが(出エ七・10~一二・36)、これも将来イエスが来られて、奇跡をもって神の選民を救われるということを、見せてくださったのであった。ヤコブがハランにおいて、二十一年間の苦役をするとき、ラバンは当然ヤコブに与えなければならない報酬を与えないで、十回も彼を欺いた(創三一・7)。それゆえに、ヤコブの路程を歩むモーセの路程においても、パロがイスラエル民族を、限度を越えて苦役させたばかりでなく、十回も彼らを解放すると言いながら、そのつど彼らを欺いたので、その蕩減として十回の災禍を下し、パロを打つことができたのである。それでは、これらの災禍はいったい、何を予示しようとされたものであるかということについて、調べてみることにしよう。

エジプトの側には三日間の暗黒があり、イスラエルの側には三日間の光明があったというのは、これは将来イエスが来られたら、サタンの側は暗闇となり、神の側は光明となって、サタンの側と神の側とが分岐されるということを、表示してくださったのである。つぎに神は、エジプトの長子と家畜の初子をことごとく撃ってしまわれたのであるが、イスラエルの民族は、羊の血をもってこれを免れることができた。これは、サタン側の長子はカインの立場であるためにこれを打ち、アベルの立場である次子をして、長子の立場を復帰するようにさせるためであった。この災禍もまた、将来イエスが来られたならば、最初に長子の立場を復帰することにより、摂理路程を先に出発したサタンの側は滅び、次子の立場である神の側はイエスの血の代贖によって救われるということを、前もって見せてくださったのである。モーセはまた、エジプトから多くの財物を取って出発したのであるが(出エ一二・35、36)、これも、将来にあるはずのイエスの万物復帰を、前もって表示されたのであった。神は災禍の奇跡を行われるごとに、パロの心をかたくなにされたが(出エ一〇・27)、その理由は、第一に、パロとイスラエル民族に神の能力をはっきりと見せ、神はまさしく、イスラエルの神であられるということを悟らしめるためであった(出エ一〇・1、2)。そして第二には、パロをして、あらん限りの力を尽くして、イスラエル民族を捕らえようと努めさせ、しかも結局は、やむなくそれを断念せざるを得ないことを体験させ、自己の無力を悟らしめ、また、イスラエル民族がエジプトを離れたのちにも、彼らに対する未練をもたしめないようにされるためであった。そして、第三には、イスラエル民族をして、パロに対する敵愾心を抱くようにさせ、エジプトに対する未練を断つようにさせるためであった。

第一次の民族的カナン復帰路程においては、モーセがエジプト人を打ち殺すことをもってその出発のための摂理をされたのであった。しかし、彼らがかえってモーセを信じなかったために、この路程は出発することさえもできず、失敗に終わってしまったのである。ところが、第二次路程におけるイスラエル民族は、その「出発のための摂理」として見せてくださった三大奇跡と十災禍に接し、モーセはまさしく、神が遣わされた真実なるイスラエルの指導者である、ということを信ずるようになったのであった。そして、イスラエル民族は、「民族的な信仰基台」の上でアベルの立場を確立したモーセを信じ、彼に従う立場に立つようになったので、彼らはついに、第二次民族的カナン復帰路程を出発することができたのである。

ところが、イスラエル民族がこのように一時的にモーセに従い、従順に屈伏したとしても、それだけで直ちに「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられたということにはならない。なぜかといえば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てる摂理路程にはサタンが侵入し、長い摂理の期間をサタンに奪われていたために、モーセに対してカインの立場に立っていたイスラエル民族は、このような期間を民族的に蕩減復帰するため、この荒野路程の全期間を通じ、従順と屈伏をもってモーセを信じ、彼に従わなければ、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てることができなかったからである。したがって、イスラエル民族がモーセに従い、荒野路程を経てカナンに入ってしまうまでは、「民族的な実体基台」を立てることができなかったのであった。

このように神は、第二次のカナン復帰路程においては、その第一次のときよりももっと大きな恩賜をもって「出発のための摂理」をされたのである。しかし、これはあくまでも彼らの不信のためであったから、第二次路程においてイスラエル民族が立てるべき蕩減条件は、更に一層加重されたのであった。すなわち、第一次路程においては、彼らがモーセを信じ、彼に従ったならば、ペリシテの近道に導かれ、ヤコブのハラン路程期間数である二十一日間をもって、カナンの福地に入り得たはずであったのである。ところが、第二次路程においては、出エジプト記一三章17節に明示されているように、もし、彼らがペリシテ地方の近道に導かれたならば、戦争を見て恐れを抱き、第一次路程のときと同じく、再び不信に陥ってエジプトに戻るかもしれない、と心配されたので、神は彼らをこの近道に導かれないで、紅海を渡り、荒野を迂回し、二十一カ月かかってカナンに入る路程を選ばれたのであった。

このようにして、モーセを中心とするイスラエル民族は、二十一カ月の荒野路程を出発するようになったのである。それでは、既に前もって述べたとおり、この路程がいかにして、将来来られるイエスを中心とする、世界的カナン復帰路程の表示路程になったか、ということについて調べてみることにしよう。

モーセに屈伏したパロがイスラエル民族に、自分の国の内でなら犠牲をささげてもよいと承諾したとき、モーセは、「そうすることはできません。わたしたちはエジプトびとの忌むものを犠牲として、わたしたちの神、主にささげるからです。もし、エジプトびとの目の前で、彼らの忌むものを犠牲にささげるならば、彼らはわたしたちを石で打たないでしょうか。わたしたちは三日の道のりほど、荒野にはいって、わたしたちの神、主に犠牲をささげ、主がわたしたちに命じられるようにしなければなりません」(出エ八・26、27)という言葉をもってパロを欺き、自由許諾の三日間を得て、イスラエル民族を導きだしてきたのであった。この三日間は、すなわち、アブラハムがイサク献祭に当たってサタン分立のために要した期間であったから、そののちこれは、摂理路程を出発するたびごとに、サタン分立のために必要な蕩減期間となったのである。したがって、ヤコブがカナン復帰路程を出発しようとしたときにも、ラバンを欺いてハランを離れ、サタンを分立した三日期間があった(創三一・19~22)。これと同じく、モーセにも、彼がカナン復帰路程を出発するためには、パロを欺いて自由行動をとり、サタンを分立せしめる三日期間がなければならなかったのである。そして、これは後日、イエスの場合にも、サタン分立のための復活三日期間があったのち、初めて、霊的復帰路程の出発をされるようになるということを、表示してくださってもいるのである。このようにして、イスラエルの壮丁(成年に達した男子)六十万人が、ラメセスを出発したのは、正月十五日であった(出エ一二・6~37、民数三三・3)。

イスラエル民族が、三日期間を神のみ意にかなうように立て、スコテに到達したのちにおいても、神は尽きない恩賜をもって、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって彼らを導かれたのである(出エ一三・21)。モーセの路程で、イスラエル民族を導いた昼(陽)の雲の柱は、将来イスラエル民族を、世界的カナン復帰路程に導かれるイエスを表示したのであり、夜(陰)の火の柱は、女性神として彼らを導くはずである聖霊を象徴したのであった。

モーセは神の命令により、杖をもって紅海の波を分け、それを陸地のようになさしめて渡ったのであるが、彼らのあとを追撃してきたエジプトの馬と戦車と騎兵とは、みな水葬に付されてしまったのである(出エ一四・21~28)。既に説明したように、パロの前に立っていたモーセは、神を象徴したのであり(出エ七・1)、モーセが手に持っていた杖は、神の権能を現すイエスを象徴したのであった。それゆえに、この奇跡は将来イエスが来られるとき、サタンはイエスに従って、世界的カナン復帰路程を歩む信仰者たちのあとを追撃することになるが、杖の使命者として来られるイエスが、鉄の杖をもって(黙二・27、詩二・9)、彼らの前に横たわるこの荒海の俗世界を打つとき、この苦海も平坦な道に分けられるはずであるから、聖徒たちの道は開かれ、追撃するサタンは滅ぼされてしまうということを見せてくださったのである。前編の終末論において既に述べたように、鉄の杖は神のみ言を意味する。そして、黙示録一七章15節には、この罪悪世界を水に例えているのである。我々がこの俗世界を苦海と呼ぶのも、このような通念から生じてきたものと見ることができる。

イスラエルの民族は、紅海を渡り、エジプトを出発してから二カ月目の十五日に、シンの荒野に到着した(出エ一六・1)。このときから神は、彼らが人の住む土地にやって来るまでマナとうずらとを与えられたのであるが(出エ一六・35)、これは将来、イエスが世界的カナン復帰路程において、人間の命の要素であるイエスの肉(マナ)と血(うずら)とが、すべての人間に与えられるということを見せてくださったのである。それゆえに、ヨハネ福音書六章48節以下を見ると、イエスは、「……あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった……人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」と言われたのであった。

イスラエル民族がシンの荒野を出発して、レピデムに宿営したとき、神はモーセに命ぜられて、ホレブ山の磐石(岩)を打たせ、水を出して彼らに飲ませられた(出エ一七・6)。ところで、コリント・一〇章4節に「岩はキリストにほかならない」と言われているのであるから、この行事は将来メシヤが来られ、「永遠の命に至る水」(ヨハネ四・14)によって、すべての人を生かすということを見せてくださったのである。つぎに、モーセがシナイ山で受けた二つの石板も、イエスと聖霊とを象徴するのであるが、磐石は石板の根であるから、これはまた神をも象徴しているのである。モーセが磐石を打って水を出し、イスラエル民族に飲ませて彼らを生かした基台があるので、この基台の上でモーセが石板を受けるようになったのであり、したがって契約の箱と幕屋をつくることができたのであった。

ヨシュアがレピデムでアマレクと戦ったとき、モーセが手を挙げているとイスラエルが勝ち、手を下げると敗れた。それゆえに、アロンとホルは、石を取ってモーセの足もとに置き、彼をその上に座らせて、彼の手が下がらないように左右から支えることにしたので、その前で戦っていたヨシュアは、アマレク王とその民を打って勝利したのであった(出エ一七・10~13)。これも将来、イエスが来られるときに起こることを、前もって見せてくださったのであり、ヨシュアはイエスを信ずる信仰者を、アマレクはサタンの世界を、そしてアロンとホルはイエスと聖霊を、各々象徴したものである。そして、アロンとホルがモーセの手を支えて立っていたその前で、ヨシュアがアマレクを打って滅ぼしたということは、神を中心とするイエスと聖霊の三位神を信ずる信仰者たちは、その前に現れるあらゆるサタンを滅ぼすことができるということを予示してくださったのであった。

概要

③ 幕屋を中心とする復帰摂理

本文

我々は先に、石板と幕屋と契約の箱とを受けるようになったそのいきさつを、知らなければならない。イスラエル民族は、アマレクと戦って勝利したのち、三カ月目の初めに、シナイの荒野に到着した(出エ一九・1)。ここでモーセは、長老七十人を率いて、シナイ山に登って神を見た(出エ二四・9、10)。神は特別に、モーセをシナイ山の頂に呼ばれ、石の板に記録した十戒を受けるために、四十日四十夜を断食せよと命じられた(出エ二四・18)。モーセは、シナイ山で断食する間に、神から契約の箱と幕屋についての指示を受けた(出エ二五~三一)。そして四十日間の断食が終わったとき、モーセは十戒を記録した二つの石板を神から受けたのである(出エ三一・18)。

モーセが石板を持ってシナイ山から下り、イスラエルの民の前に出てきたとき、彼らはアロンをして金の子牛をつくらせ、それが、イスラエル民族をエジプトから導きだした神であると言って拝んでいたのであった(出エ三二・4)。これを見たモーセは大いに怒って、手に持っていた二つの石板を山の下に投げつけ、壊してしまったのである(出エ三二・19)。しかし、神は再びモーセに現れて、先のものと同じ石の板をつくってきたなら、そこにまた十戒のみ言を刻んでくださることを約束されたのであった(出エ三四・1)。このみ言を聞いたモーセが、再び四十日四十夜を断食したとき、神は彼の石板に再び十戒を記録してくださった(出エ三四・28)。モーセがこの石板をもって、再びイスラエル民族の前に現れたとき、初めて彼らはモーセを信じ、彼に仕えるようになって、契約の箱をつくり、幕屋を建設したのである(出エ三五~四〇)。

(イ) 石板、幕屋、契約の箱などの意義とその目的
本文

石板は何を意味するものであろうか。モーセがみ言を記録した二つの石板を受けたということは、堕落によって、供え物を通してのみ神と対応できた復帰基台摂理時代が既に過ぎさり、堕落人間がみ言を復帰して、それをもって神と対応することができる復帰摂理時代に入ったということを、意味するのである。そして、既に後編の緒論において明らかにしたように、み言によって創造されたアダムとエバは、完成したならば、み言の「完成実体」となるはずであった。しかし、彼らは堕落することによって、み言を失った存在となってしまったのである。ここにおいて、モーセが「四十日サタン分立期間」をもって、み言を記録した二つの石板を手にしたということは、サタンの世界から、失ったアダムとエバとを、象徴的なみ言の実体として復帰したということを意味するのである。したがって、み言を記録した二つの石板は、復帰したアダムとエバとの象徴体であって、将来、み言の実体として来られるイエスと聖霊とを象徴したのであった。聖書にイエスを白い石で象徴し(黙二・17)、また、岩はすなわちキリストである(コリント・一〇・4)と言われた理由はここにあるのである。このように、二つの石板はイエスと聖霊とを象徴するために、結局これらはまた、天と地とを象徴することにもなるのである。

つぎに、幕屋にはどういう意義があるのであろうか。イエスはエルサレムの神殿を自分の体に例えられた(ヨハネ二・21)。そしてまた、イエスを信じる信徒たちのことをも、神の宮であると言われたのである(コリント・三・16)。それゆえに、神殿はイエスの形象的な表示体であるといわなければならない。モーセを中心とするイスラエル民族が、第一次カナン復帰に成功したならば、彼らはカナンの地に入ってすぐ神殿を建設し、メシヤを迎えることができる準備をするはずであった。ところが、彼らの不信により、第一次路程は出発することもできなかったのであり、第二次路程では、紅海を渡り荒野において流浪するようになったため、神殿を建設することができず、その代わりに、幕屋を建てたのである。それゆえに、幕屋はイエスの象徴的な表示体なのである。それゆえ、神がモーセに幕屋を建てるように命ずるとき、「彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」(出エ二五・8)と言われたのである。

幕屋は至聖所と聖所との二つの部分からなっているのであるが、至聖所は、大祭司だけが年に一度入って献祭をする所である。そして、そこには契約の箱が安置されていて、神が親しく臨在される所であるために、これはイエスの霊人体を象徴したのであり、聖所は普通の献祭のときに入る所であって、これはイエスの肉身を象徴したのであった。したがって、至聖所は無形実体世界を、聖所は有形実体世界を象徴することになるのである。イエスが十字架につけられたとき、聖所と至聖所との間に掛けられていた幕が、上から下まで真っ二つに裂かれたということは(マタイ二七・51)、イエスの十字架による霊的救いの摂理の完成によって、霊人体と肉身とが、そして、天と地とが、互いに交通し得る道が開かれたということを意味するのであった。

それでは契約の箱とはいったい何であろうか。契約の箱とは、至聖所に安置する律法の櫃であって、その中にはイエスと聖霊、すなわち天と地とを象徴する二つの石板が入っていた。そしてまた、そこには荒野路程におけるイスラエル民族の命の糧であり、また、イエスの体を象徴するマナが、神の栄光を表象する金の壺に入れられて安置されていたのであり、また、イスラエルに神の能力を見せてくださった、芽を出したアロンの杖が入っていたのである(ヘブル九・4)。このような点から見るとき、契約の箱は、大きくは天宙の、そして、小さくは幕屋の縮小体であると見なすことができる。

そして、契約の箱の上には贖罪所がつくられていたのであるが、神が言われるには、金をもって二つのケルビムをこしらえ、贖罪所の左右に向かいあわせに置けば、二つのケルビムの間から主なる神が親しく現れて、イスラエルの人々に、命じようとするもろもろのみ言を語るであろうと言われたのである(出エ二五・16~22)。これは将来、二つの石板に表示されているイエスと聖霊とが来られて摂理されることにより、贖罪が成立すれば、その贖罪所に神が現れると同時に、エデンの園において、アダムが生命の木の前に出ていく道をふさいでしまったケルビム(創三・24)が左右に分かれて、だれでも生命の木であられるイエスの前に行って、神のみ言を受けることができるようになるということを表示してくださったのであった。

それでは、神が石板と幕屋と契約の箱とを下し給うた目的は、いったいどこにあるのだろうか。イスラエル民族は、アブラハムの「象徴献祭」の失敗によって招来した四〇〇年蕩減期間を終えてのち、三大奇跡と十災禍をもってエジプトの民を打ち、追撃してくるエジプトの数多くの兵士と戦車とを水葬に付して紅海を渡り、荒野への道を踏みだしたのであった。神のみ旨を中心として見てもそのとおりであるが、このように仇をつくって離れたエジプトであったために、再びそこに戻ることができない立場にいたイスラエル民族にとって、カナン復帰は必然的に成就しなければならない路程であったのである。それゆえに、神は「出発のための摂理」を、そのような奇跡と災禍をもって行われたのであり、また、イスラエル民族をして紅海を渡らせ、再び、戻ることができないような環境へと追いつめられたのであった。

しかし、イスラエル民族はみな不信に流れてしまった。そしてついには、モーセまでが不信の行動をとるかもしれないという立場に陥ってしまったのである。ここにおいて神は、たとえ人間は変わっても変わることのできないある信仰の対象を立てなければならなかったのである。すなわち、いかなるときにおいても、たった一人でもこれを絶対に信奉する人がいるならば、そのような人たちによって、その信仰の対象を、あたかもバトンのように継承しながら、摂理の目的をあくまでも成就していこうとされたのである。

それでは、このような信仰の対象は何をもって立てなければならなかったのであろうか。石板が入っている契約の箱を安置することによって、メシヤを象徴した幕屋が、すなわち、これであったのである。それゆえに、イスラエル民族が幕屋をつくったということは、既にメシヤが象徴的に降臨されたということを意味するのであった。

したがって、モーセを中心とするイスラエル民族が、この幕屋をメシヤのように対し忠誠をもって信奉し、カナンの福地に復帰するならば、「民族的な実体基台」は、そのときに立てられるのであった。そして、もしイスラエルがみな不信に陥るとしても、モーセ一人だけでも残ってその幕屋を守るならば、その民族は再び蕩減条件を立てて、幕屋を信奉するモーセを中心として、その基台の上に復帰することができるのである。その上、もし更にモーセまでが不信に陥ったとしても、その民族の中のある一人がモーセを代理して最後まで幕屋を守るならば、また、彼を中心として、不信に陥った残りの全民族を復帰する摂理を再びなさることができたのであった。

第一次民族的カナン復帰路程において、もしイスラエル民族が不信に陥らなかったならば、モーセの家庭は幕屋の代理であり、モーセは石板と契約の箱の代理であり、また、モーセの家法は、天法を代理するはずであったから、彼らには、石板とか契約の箱とか幕屋とかが必要ではなく、そのままカナンに入って、神殿を建てるはずであったのである。ゆえに、石板と幕屋と契約の箱は、イスラエル民族が不信に陥ったので、彼らを救うための一つの方便として下さったものなのであった。幕屋はイエスと聖霊の象徴的な表示体であるから、神殿を建てるときまで必要だったのであり、神殿はイエスと聖霊の形象的な表示体であるから、実体の神殿であられるメシヤが降臨されるときまで必要だったのである。

概要
(ロ) 幕屋のための基台
本文

メシヤを迎えるためには「メシヤのための基台」がつくられなければならないのと同様に、象徴的なメシヤである幕屋を迎えるためにも、「幕屋のための基台」がつくられなければならない。したがって、この基台を立てるためには、幕屋のための「信仰基台」と、幕屋のための「実体基台」とを立てなければならない、ということはいうまでもない。それでは、モーセを中心とするイスラエル民族は、いかにしてこの二つの基台を立てることができたであろうか。

モーセが、幕屋のための神のみ言を信奉し、断食の祈りをもって「四十日サタン分立期間」をみ意にかなうように立てれば、幕屋のための「信仰基台」がつくられるようになっていたのである。また、イスラエル民族が、幕屋のための「信仰基台」の上で、幕屋理想を立てていくモーセに、信仰をもって従順に屈伏すれば、幕屋のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられ、したがって、幕屋のための「実体基台」もつくられるようになっていたのであった。ここにおいて、幕屋というのは、その中に入っている石板と契約の箱とを含めていうのである。

(a) 第一次 幕屋のための基台

人間は、六日目に創造されたみ言の実体である(ヨハネ一・3)。したがって、このように創造されたあとで堕落した人間を復帰するために、再創造のみ言を下さる摂理をされるためには、サタンの侵入を受けた創造期間の六数を聖別しなければならないのである。そこで、神は六日間、主の栄光の雲をもってシナイ山を覆い聖別されたのち、七日目に、その雲の中に現れてモーセを呼ばれたのであった(出エ二四・16)。モーセは、このときから四十日四十夜の間断食したのである(出エ二四・18)。それは、既に前のところで詳しく論じたように、イスラエル民族が紅海を渡ったのち、再び不信に陥るのを見られた神が、モーセをして「四十日サタン分立期間」を立てるようにせられ、それによって、象徴的なメシヤである幕屋のための「信仰基台」を立たしめるためであった。

イスラエル民族のカナン復帰路程における「堕落性を脱ぐための蕩減条件」は、彼らが一時的にモーセを信じ、彼に従うことによってつくられるのではなく、彼らがカナンに入り神殿を建ててメシヤを迎えるときまで、継続してそのような立場に立ちつづけることによってのみ、それが成立するということは、既に論じたとおりである。これと同じく、幕屋を建てるために、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて、幕屋のための「実体基台」をつくるときにおいても、イスラエル民族は、モーセが「四十日サタン分立期間」を経て幕屋を建てるときまで、彼を信じ、彼に仕え、彼に従わなければならなかったのであった。ところが彼らは、モーセが断食の祈りをあげていた期間に、みな不信に陥ってしまい、アロンに金の子牛をつくらせ、それがイスラエルの民をエジプトから導きだした神であると言って拝んでいたのである(出エ三二・4)。その結果、イスラエル民族は、幕屋のために立てなければならなかった「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てられず、したがって幕屋のための「実体基台」もつくることができなかったのである。

神は、奇跡をもってイスラエル民族を導いてくださった。しかし、人間自身がみ言の基台を失ってしまったのであるから、人間自身の責任分担において、それを立てなければならないこの期間に限っては、神も彼らの行動を干渉し給うことができなかったのである。ところで、偶像をつくって踊り狂っているイスラエルの民を見るや否や、烈火のごとく憤ったモーセは、手に持っていた石板を山の下に投げつけて、壊してしまった(出エ三二・19)。そのためこれは、モーセが「四十日サタン分立期間」をもって立てたところの幕屋のための「信仰基台」に、サタンが侵入するという結果をもたらしてしまったのである。二つの石板は、既に前のところで明らかにしたように、後のアダムと後のエバとして復帰されるイエスと聖霊とを象徴している。モーセが、イエスと聖霊とを象徴する二つの石板を、イスラエルの不信仰によって壊してしまったということは、次にイエスが来られるときにも、もしユダヤ民族が不信仰に陥れば、イエスが十字架で亡くなられ、イエスと聖霊が神から受けた本来の使命を完遂することができないということを象徴的に見せてくださったのであった。

モーセを中心として行われたイスラエル民族のこのような不信仰は、モーセが「四十日サタン分立期間」を立てたのち、その民をしてモーセに従わせ、「幕屋のための基台」をつくろうとされた神の摂理を挫折させてしまったのである。したがって、「幕屋のための基台」をつくろうとされた摂理は、打ち続くイスラエルの不信仰により、二次から更に三次にまで延長されてきたのであった。

(b) 第二次 幕屋のための基台

モーセを中心とするイスラエル民族は、二つの石板を中心とする神の摂理に対して不信に陥ってしまった。しかし彼らは、既にレピデムにおいて石板の根である磐石の水を飲んだ基台の上に立っていたために(出エ一七・6)、モーセが石板を壊してしまったあとでも、神は再びモーセの前に現れ、石板二つを以前のものと同じようにつくってくるならば、最初の石板に刻んで下し給うたのと同じみ言を、再び書いてくださるということを約束されたのである(出エ三四・1)。しかし、ここで「四十日サタン分立基台」を再び立てて、幕屋のための「信仰基台」を復帰しなければ、石板を中心とする幕屋を復帰することは不可能であるため、モーセは、再び、四十日四十夜の間断食したのちに、十戒のみ言を記録した第二次の石板と幕屋理想を復帰するようになったのであった(出エ三四・28)。

一度壊してしまった石板を、四十日四十夜の断食の祈りをもって復帰したということは、十字架で亡くなられたイエスも、彼を信ずる信徒たちが「四十日サタン分立基台」をもって、彼を迎えることができる蕩減条件を立て得るならば、その基台の上に再臨なさり、救いの摂理を再び行うことができるということを見せてくださったのである。

モーセが、第二次として石板を中心とする幕屋理想を復帰していた「四十日サタン分立基台」においては、イスラエル民族は、モーセに従順に屈伏しただけでなく、モーセの指示によって、神のみ言のとおりに幕屋を建てたのであるが、そのときは、第二年の正月一日であった(出エ四〇・17)。このようにして、イスラエルの選民たちは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、幕屋のための「実体基台」をつくることによって、「幕屋のための基台」を造成した基台の上に、幕屋を建設するようになったのである。しかし、既に述べたように、彼らが幕屋を建設することだけでは、第二次民族的カナン復帰路程における「実体基台」はつくり得ないのである。彼らはカナンに入って神殿を建て、メシヤを迎えるときまで忠節を変えることなく、この幕屋を自分たちの命よりもなお貴重に思い、それを信奉しなければならなかったのである。

第二年の二月二十日に、イスラエル民族は雲の柱の導きによって、幕屋を中心として、シナイの荒野を出発した(民数一〇・11、12)。ところが、彼らは再び不信仰に陥り、モーセを恨んだので、エホバは怒りを発せられ、火をもって彼らの宿営の端を焼かれたのである(民数一一・1)。イスラエルの民はそれでもなお悔い改めず、泣き叫びながら、マナのほかには、きゅうりもすいかもないとモーセに恨み言を言いつつ、エジプトの地を慕ったのであった(民数一一・4~6)。したがって、イスラエル民族が立てていかなければならなかった「幕屋のための基台」は、再びサタンの侵入を受ける結果となってしまったので、この基台を復帰しようとした摂理は、またも、第三次の延長を余儀なくされたのであった。

(c) 第三次 幕屋のための基台

イスラエル民族が、再び不信に陥ったので、彼らを中心とする第二次の「幕屋のための基台」は、また、サタンの侵入を受けるようになってしまったのである。しかし、モーセの変わらない信仰と忠誠とによって、その幕屋は、依然としてモーセを中心とする幕屋のための「信仰基台」の上に立っていたのであり、また、イスラエル民族は、既にレピデムで幕屋の中心である石板の根、すなわち、磐石の水を飲んだ(出エ一七・6)基台の上に立っていたのであった。それゆえに、このような基台の上でイスラエル民族が再び、「四十日サタン分立基台」を立てて、幕屋を中心とするモーセに従順に屈伏したならば、彼らはいま一度、第三次の「幕屋のための基台」を蕩減復帰できるようになっていたのである。このための条件として下さったのが、四十日の偵察期間であった。

神はイスラエル民族の各部族から族長一人ずつを集めて、十二名をカナンの地に送り(民数一三・2)、四十日間にわたって偵察をさせられた(民数一三・25)。しかし、偵察から戻ってきた十二名のうち、ヨシュアとカレブとを除いては全部が不信仰な報告をしたのである。すなわち、その地に住む民は強く、その町々は堅固であるばかりでなく(民数一三・28)、その地はそこに住む者を滅ぼす地であり、またその所で見た民はみな背が高い人々であり、わたしたちには自分がいなごのように思われた(民数一三・32、33)と言いふらし、イスラエルはその城とその民とを攻撃することができないと報告したのである。この報告を聞いたイスラエル民族は、モーセに向かってつぶやき、泣き叫びながら、新たに一人のかしらを立てて、エジプトに帰ろうと騒ぎだした。

しかし、ヨシュアとカレブとは、カナンの地の民たちは、彼らを守る者が既に取り除かれているので、イスラエルの食いものにすぎない。その反面、我々には、エホバが保護者としてついておられるのだから、恐れることなく彼らを攻撃することによって、神に背かないようにしなければならないと叫んだのである(民数一四・9)。しかし、イスラエルの民はかえって、石をもってヨシュアとカレブとを撃ち殺そうとしたのであった(民数一四・10)。このときにエホバが現れて、「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまでわたしを信じないのか」(民数一四・11)と言われながら、「あなたがたの子供は、わたしが導いて、はいるであろう。彼らはあなたがたが、いやしめた地を知るようになるであろう。しかしあなたがたは死体となってこの荒野に倒れるであろう。あなたがたの子たちは、あなたがたの死体が荒野に朽ち果てるまで四十年のあいだ、荒野で羊飼となり、あなたがたの不信の罪を負うであろう。あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう」(民数一四・31~34)と言われたのである。このように、第三次の「幕屋のための基台」も復帰することができなくなったので、第二次の二十一カ月の荒野路程は、第三次の四十年荒野路程に延長されてしまった。

④ 第二次民族的カナン復帰路程の失敗

本文

イスラエル民族の不信により、「幕屋のための基台」が、三次にわたってサタンの侵入を受けるようになったので、第二次民族的カナン復帰路程における「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」は、立てることができなくなってしまった。したがって、第二次に立てようとした「実体基台」を造成することができなくなり、第二次民族的カナン復帰路程は、再び失敗に終わってしまい、第三次民族的カナン復帰路程に延長されたのである。