第四節 創造本然の価値 その2

(二)創造本然の知情意と創造本然の真美善

本文

 人間の心は、その作用において、知情意の三機能を発揮する。そうして人間の肉身は、その心の命令に感応して行動する。これを見ると、その肉身は心、すなわち知情意の感応体として、その行動は真美善の価値を追求するものとして表れるのである。神はどこまでも、人間の心の主体であるので、知情意の主体でもある。したがって、人間は創造本然の価値実現欲によって、心で神の本然の知情意に感応し、体でこれを行動することによって、初めてその行動は、創造本然の真美善の価値を表すようになるのである。

概要
  • 肉身は知情意の感応体として、その行動は真美善の価値を追求する。
  • 心で神の本然の知情意に感応し、体でこれを行動することによって、創造本然の真美善の価値を表すようになる。
補足

神の心情を中心とした真美善はそれぞれ、神の心情を中心とした「哲学・科学」「芸術」「倫理道徳」を現すようになり、心情文化を形成するようになる。

(三)愛と美、善と悪、義と不義

(1)愛と美

本文

 神から分立された二性の実体が、相対基準を造成して授受作用をすることにより四位基台をつくろうとするとき、それらが神の第三対象として合性一体化するために、主体が対象に授ける情的な力を愛といい、対象が主体に与える情的な力を美という。ゆえに、愛の力は動的であり、美の刺激は静的である。

 神と人間について例をとれば、神は愛の主体であり、人間は美の対象である。男女については、男子は愛の主体であり、女子は美の対象である。被造世界においては、人間は愛の主体となり、万物世界は美の対象となるのである。しかし、主体と対象とが合性一体化すれば、美にも愛が、愛にも美が内包されるようになる。なぜかといえば、主体と対象とが互いに回転して一体となれば、主体も対象の立場に、対象も主体の立場に立つことができるからである。対人関係において、目上の人の愛に対して目下の人がささげる美を忠といい、父母の愛に対して子女がささげる美を孝といい、また夫の愛に対して妻がささげる美を烈という。愛と美の目的は、神から実体として分立された両性が、愛と美を授受することによって合性一体化して、神の第三対象となることによって、四位基台を造成して創造目的を達成するところにある。

 つぎに、神の愛とは何であるかを調べてみることにしよう。神を中心としてその二性性相の実体対象として完成されたアダムとエバが一体となり、子女を生み殖やして、父母の愛(第一対象の愛)、夫婦の愛(第二対象の愛)、子女の愛(第三対象の愛)など、創造本然の三対象の愛を体恤することによってのみ、三対象目的を完成し、四位基台を完成した存在として、人間創造の目的を完成するようになる。このような四位基台の三対象の愛において、その主体的な愛が、まさしく神の愛なのである。それゆえ、神の愛は三対象の愛として現れ、四位基台造成のための根本的な力となるのである。したがって、四位基台は神の愛を完全に受けて、これを体恤できる完全な美の対象であり、また、完全な喜びの対象であるから、創造目的を完成した善の根本的な基台なのである。

概要
  • 四位基台をつくろうとするとき、主体が対象に授ける情的な力を愛といい、対象が主体に与える情的な力を美という。
  • 愛と美の目的は、四位基台を造成して創造目的を達成するところにある。
  • 父母の愛(第一対象の愛)、夫婦の愛(第二対象の愛)、子女の愛(第三対象の愛)など、創造本然の三対象の愛を体恤することによってのみ、三対象目的を完成し、四位基台を完成した存在として、人間創造の目的を完成するようになる。このような四位基台の三対象の愛において、その主体的な愛が、まさしく神の愛なのである。
補足

真(まこと)の愛とは

原理講論及文先生のみ言を理解する上において欠かせない言葉が「真(まこと)の愛」です。これは堕落世界の自己を中心とした愛ではなく完全に利他的な愛を言います。神様の心情は真の愛となって現れます。真の愛については文先生ご自身が多く語られておりますので、以下のみ言より理解してくださればと思います。

真の愛の本体であられる神様に似る最善の道が、真の愛の実践を通して真の愛の人格者になり、真の愛の主人になる道だと言いました。その道こそが、私たちも真の父母になれる道だと言いました。

 そうであるならば、真の愛の人生とはどのような人生でしょうか。真の愛は、公益性をもつ無形の秩序や、平和や、幸福の根源です。真の愛の本質は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたということすら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲ませる喜びと愛の心情です。子供が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的愛です。神様の人類創造がそうであったように、何ら見返りを期待せず、条件も付けずに与える、絶対、唯一、不変、永遠なる愛の創造です。

 真の愛は、宇宙の源泉であり、宇宙の中心、宇宙の主人を生み出してくれる愛です。真の愛は、神様の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくる愛です。

 堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力が、真の愛の価値です。

 神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なものなので、誰でもこの真の愛を率先して実践すれば、神様と同居して共に楽しむことができ、同参権までも享受できるようになるのです。このように、天国に入るのに絶対に必要な条件が、正に「ために生きる人生」、すなわち真の愛の人生なのです。

平和メッセージ 1

 『原理講論』に「真の愛の起源」という言葉を入れなければなりません。「真の愛の起源が神様だ」という言葉を入れなければならないというのです。

宇宙の根本:天聖経

(2)善と悪

本文

主体と対象が愛と美を良く授け、良く受けて合性一体化して神の第三対象となり、四位基台を造成して、神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果を善といい、サタンを中心として四位基台を造成して、神の創造目的に反する目的のための行為をなすこと、または、その行為の結果を悪というのである。

例を挙げれば、神を中心として心と体が、主体と対象の立場において、愛と美を良く授け良く受けて合性一体化し、個人的な四位基台を造成して、創造目的を完成した個性体となり、神の第一祝福を完成するようになるとき、その個性体、または、そのような個性体をつくるための行為を善という。そして、神を中心としてアダムとエバが、主体と対象の立場において、愛と美を良く授け良く受けて夫婦となり、子女を生み殖やして家庭的な四位基台を造成して、創造目的を完成した家庭をつくり、神の第二祝福を完成するようになるとき、その家庭、または、そのような家庭をつくるための行為を善という。また、個性を完成した人間が、ある事物を第二の自我として、その対象の立場に立たしめ、それと合性一体化して神の第三対象をつくり、主管的な四位基台を造成して神の第三祝福を完成するようになるとき、その事物とか、または、その事物をつくるための行為を善という。サタンを中心として四位基台を造成することによって上記のような神の三大祝福に反対の目的を成し遂げる行為、または、その行為の結果を悪というのである。

概要
  • 神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果を善といい、サタンを中心として四位基台を造成して、神の創造目的に反する目的のための行為をなすこと、または、その行為の結果を悪というのである。

(3)義と不義

本文

善の目的を成就していく過程において、その善の目的に役立つ生活的要素を義といい、悪(サタン)の目的を成就していく過程において、その悪の目的に役立つ生活的要素を不義という。それゆえに、善の目的を成就するためには、必然的に、義の生活を必要とするようになるので、義が善の目的を追求する理由は、すなわちここにある。