第三節 創造目的 その1

(一)被造世界を創造された目的

本文

 被造物の創造が終わるごとに、神はそれを見て良しとされた、と記録されている創世記のみ言を見れば(創一・4~31)、神は自ら創造された被造物が、善の対象となることを願われたことが分かる。このように被造物が善の対象になることを願われたのは、神がそれを見て喜ばれるためである。それでは、被造物がいかにすれば、神に一番喜ばれるのであろうか。神は万物世界を創造されたのち、最後に御自分の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、それを見て楽しもうとされた。そこで、神はアダムとエバを創造なさったのち、生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、一層喜ばれるということはいうまでもない。

概要
  • 被造物の創造が終わるごとに、神はそれを見て良しとされた、と記録されている創世記のみ言を見れば(創一・4~31)
  • 神は被造物が、善の対象となることを願われたのであるが、それは、神がそれを見て喜ばれるためであった。
補足

 聖書によらなくとも人間がものを作る動機を考えれば、「喜び対象」とするためであることがわかる。神は全なる方なので”善の対象”である。

神の喜びと存在の二重目的

本文

 それでは、神の三大祝福は、いかにして完成されるのだろうか。それは、創造の根本基台である四位基台が成就された基盤の上でのみ成就されるのである。それゆえに、神が被造世界を創造なさった目的は、人間をはじめ、すべての被造物が、神を中心として四位基台を完成し、三大祝福のみ言を成就して、天国をつくることにより、善の目的が完成されたのを見て、喜び、楽しまれるところにあったのである。

概要
  • 神は万物世界を創造されたのち、最後に御自分の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われた。
  • それ故に、この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、一層喜ばれるのである。
  • それゆえに、人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。
補足

神の喜びとは、聖書に記された三大祝福のみ言を人間が成就すること。地上天国を完成し、人間が幸福にあふれ喜んでいる世界を実現することである。
 対象を愛したくて愛したくてたまらない神様が、一番喜ばれるのは愛する対象が、愛に応え喜んでいる時。その与えたい最大の愛が「三大祝福」である。
 人の親でも子女が成人したら祝福を与えたいと思うのに、真の愛の方である神様が準備している祝福がどれほど大きいかを知らなくてはいけない。神の心情がわかれば、成したくて成したくてたまらないのが、三大祝福を成就であるはず。

本文

 それゆえに、人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。また、すべての存在は二重目的をもつ連体である。既に述べたように、すべての存在の中心には、性相的なものと、形状的なものとの二つがあるので、その中心が指向する目的にも、性相的なものと形状的なものとの二つがあって、それらの関係は性相と形状との関係と同じである。そして、性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体のためにあるもので、前者と後者は、原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという関係をもっている。それゆえに、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。したがって、森羅万象の被造物は、このような二重目的によって連帯しあっている一つの広大な有機体なのである。

概要
  • すべての存在は二重目的をもつ連体である。
  • すべての存在の中心には、性相的なものと、形状的なものとの二つがあるので、その中心が指向する目的にも、性相的なものと形状的なものとの二つがある。
  • 性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体(個体)のためにあるもので、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。
  • したがって、森羅万象の被造物は、このような二重目的によって連帯しあっている一つの広大な有機体なのである。
補足

神もご自身も、存在されるための個体的な目的と対象(人間)のためにある全体的な目的とを持っておられる。

 性相的目的とは、生心の目的である真善美愛の生活を営むことを意味し、形状的目的とは肉心の目的である衣食住性の生活を営むことを意味する。

 講論には「性相的な全体目的」と「形状的な個体目的」が記入されているだけであるが、実際は、「性相的な全体目的」「性相的な個体目的」「形状的な全体目的」「形状的な個体目的」とがある。

 万物の場合の「性相的な全体目的」は人間のために存在することであり、「性相的な個体目的」は自己の喜びのため、「形状的な全体目的」は一段階上級な各位のため、「形状的な個体目的」はそれ自体の生存繁殖作用のための目的である。


被造物の全体目的の系列(統一思想要綱より)

 人間の場合を詳しく見るならば、「性相的な全体目的」は神のために存在することであり、「性相的な個体目的」は個性完成へと向かう真美善愛を追求する目的、「形状的な全体目的」は他人または家庭社会のための目的で人間社会を円滑にするため、「形状的な個体目的」はそれ自体の生存繁殖作用のための目的である。

 ここで重要な事は、人は第一に神のために存在しなければならないし、第二に、個人は家族のために、家族は社会のために、社会は国家のために、国家は世界のために、世界は神のために生きなければならない。常に全体目的を優先しなければならないのが原理である。そして、その上で個体目的は保証されるということである。

 以上のことから、被造世界は全て密接な関係を持ちながら存在している”広大な有機体”である。

 性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体(個体)のためにあり、主体と対象の関係にあり講論には、「全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。」と書かれているが、注意すべきことは、個人や家庭としての最低限(5%)の責任は果たさないといけない。健康管理や子女の教育、個性完成、家庭完成のための努力は人間の責任分担。

史吉子氏の証し
 「吉子!うずらはいつが一番嬉しいと思うか?」と尋ねられました。私が、「それは雌と雄が愛する時が、一番嬉しいでしょう。」と答えました。ところがお父様は、「いいや。万物は神様が人間のために創造されたのだから、人間が愛する心で見つめる時、一番幸せになるんだ。」とおっしゃいました。